日本ばかりではなく、世界中で観測史上最も暑い夏と発表された2023年

わたしは、ヴィパッサナー瞑想の修行でいつもお世話になっているタイの瞑想センターで過ごしていました

タイをはじめテーラワーダ(上座部)仏教の国々では、夏から始まる雨季の3ヶ月間、雨安居という、出家僧たちが外出を避けて一ヶ所に定住し瞑想修行を行う習わしが今も残っています

今年の雨安居は8月の満月からのスタート 今回はこのタイミングで、タイへ渡ることとなりました

瞑想センターの象徴 ブッダの遺骨を納めている瞑想ホールと瞑想個室のあるパゴダ

1ヶ月半や2ヶ月の瞑想コースの滞在でお世話になっているかの地は、タイ国内で初めて誕生したヴィパッサナー瞑想センターで、ゴエンカ師も何度もコース指導をされた地でもあります

バンコクから車で2時間半ほど北東へ向かい、世界遺産に登録されているカオヤイ国立公園にほど近く、”タイの軽井沢”とも呼ばれている避暑地でもあり、年間を通して過ごしやすい気候であることから、多くのリトリート施設が軒を連ねているエリアです

わたしにとっては、気心の知れた居心地のよい聖地 多くの顔なじみの仲間たちと今年も再会して、安心して心身をゆだね浄化のつとめに専念のできる場所です

たった30年ほどの間に、みるみるうちに発展をとげた瞑想センターですが、以前はたいへん規模が小さかったという昔話を何度耳にしても、今ではまったく想像ができないほどの成長ぶりです

Kamalaの意味はパーリ語で「ロータス」 蓮池には日の出とともに蓮華が咲きほこります

その昔、古代タイのスワンナプーム時代に、ダンマ(ブッダの教法)を広めるため、インドのアショカ王の命によってソーナとウッタラという2人の聖者(アラハン)がこの地に派遣されたと伝えられています

古代ギリシャ人からはクリューセー(黄金半島)と呼ばれ、中国人からはキムリン(黄金の地)と親しまれたゴールデン・ランド 隣国のミャンマーやラオス、カンボジアと並ぶテーラワーダ仏教の一大聖域です 

歴史家たちは、この地の金の産出量について議論や研究を行なっていますが、実際のところ、黄金とはブッダの教えそのもののことを指しているのです

インドからブッダの教えが消滅してからも、隣国のミャンマーとともにその真髄を何千年にもわたり継承し続けてきた、ブッダ・ダンマの肥沃の地 

多くの聖者、賢者たちを輩出し、彼らの瞑想実践と成功は大地に深くしみわたり、この地で寝起きをするだけでもこの上ない幸福を手にすることができる、そんな素晴らしい波動に満ちあふれた大地です 人々の微笑みの意味も、自然と深く理解できることでしょう

来る2024年 ゴエンカ師の生誕100年のお祝いに エントランス前にて記念撮影

わたしは日本で生まれ育ちながらも、このような輝かしい聖地と人々とのご縁をいただく幸運にあずかりました

自己探求を続けられている1人でも多くの皆さんに、ぜひ一度足を運んでみていただきたい場所です

そしてすでにヴィパッサナー瞑想者であるならば、ブラフマビハーラからの祝福を、全身に受けとれる場所であろうと思います

タイには他にも、さまざまにお世話になっている素晴らしい場所があります
それはまたの機会に、ご紹介できればと思っています

Dhamma Kamala

照もみじには少し早い、高く澄みきった秋晴れの日に、高山寺へお参りに行ってきました
こちらは京都はもとより、日本有数の紅葉の名所である高尾の景勝地で、鎌倉時代に明恵上人が時の上皇からたまわり開山されたお寺です

表参道をのぼると、焼失した仁王門跡の石灯籠と、2本の杉の大木が静かに迎えてくれます

武士という身分の人たちが出現し、各地で反乱を繰り返すようになり、政治の実権をにぎりはじめた時代
朝廷と幕府の戦乱が続くなか、天災や飢餓も広がり、民衆たちは不安や失望感からの救済を求めていました

ここに、「鎌倉仏教」と呼ばれる一大文化が花開いてゆき、数多くの新興宗派が生まれ、現在に至っています
その中でも、日本の仏教の特徴である開祖(教祖)主義に陥らず、ブッダの教えそのものに帰依をしようと生涯をかけたのが、明恵上人でした

彼の教えは華厳を基礎にしていますが、戒律を重んじることが特徴で、日本の名僧と呼ばれる方々の中で唯一、戒律を守りきった清僧として、後世の民衆たちにも末長く尊敬を集めています

明恵上人は、腐敗の蔓延する日本の仏教界に真の師を見いだすことができず、夢の中に出てくる梵僧(インド僧)に導かれながら、修行を深めてゆきます

青紅葉の輝きが美しい明恵上人の御廟 「あるべきやうわ」の石碑が立つ

ブッダへの思慕がおさえきれず、2度にわたって天竺行きも計画しています
上人は、三蔵法師の『大唐西域記』を参考にして、1日何里歩けば王舎城(ラージギル)へたどりつけるのかを細かく計算されていました

こちらは、重要文化財 『大唐天竺里程記』として保存されていますが、結局、断念せざるを得ませんでした
残念ながらこの時代のインドはすでに、ブッダの教えは消えさっていたのでした

上人は、「夢日記」を残しておられることが有名で、わたしたち専門家にはこちらの資料のほうに親しみがあるのですが、ヴィパッサナー瞑想を始めて、再び、彼の志しに導かれることになるとは思ってもみませんでした

上人は、この時代の日本人とは思えず、たいへん合理的な精神をもつと同時に、深い慈愛を持ちあわせた方でもありました
戦乱の世で未亡人となった女性たちのために尼寺を建てたり、自然界に対しても人間と同じように接するお人柄でした

晩年を過ごし、入寂された地である開山堂 明恵上人坐像が安置され、法要が営まれます 

上人の臨終時のエピソードは、とりわけ感慨深いものがあります
ブッダが入滅された時と同じ寝姿のまま、弟子たちに教えを説き見守られながら、その生涯を閉じました

上人の教えの真髄、「あるがまま」ではなく、「あるべきやうわ」
今ここの、瞬間瞬間の時と場において、自らの問いと答えをよりどころとして生きてゆくこと

現代の私たちの心にも真っ直ぐに届く教えとして、今もなお力強く生き続け、励ましをいただけることを実感するひとときとなりました

2020年 見慣れた街角が、そして世界中の国々が、みるみるうちに様相を変え、
人影のすっかりなくなった風景が、あちらこちらに広がりました

これまでの過密なシステムや、あまりにも急ぎすぎている世界のスピードがいきなりストップし、これからの生き方や暮らし方を大きく変えなくてはならないと、世界規模の変革が少しずつ始まろうとしています

人類史に残る1年を終えて、2021年がスタートしました

松林の参道をくぐり南大門を抜けると、中門の背後に五重塔の尖塔が見えてきます

今年は、聖徳太子の1400年遠忌にあたり、パンデミックのさなかで記念行事も縮小される中、命日とされている2月22日に、法隆寺へお参りに行ってきました

太子は、推古天皇の御代に蘇我氏とともに日本の国づくりの基盤を築いた人物です
ブッダの教えの探究を礎として、日本ではじめての冠位や憲法を制定されました

歴史の教科書でもおなじみの「十七条憲法」 その第一条「和を以て貴しとなす」は、あまりにも有名です 日本人論を語る”和の精神”や”和の心”など、現代の私たちにとって今もなお、絶大な影響を及ぼしているといってよいでしょう

しかし、この条項につづく第二条を知る人は、そんなに多くないのではないでしょうか

国宝の金堂と五重塔 金堂には太子自身の像と言われる釈迦三尊像が安置されています

「篤く三宝を敬え」
これは、ブッダの教えの中核で、仏法僧を宝物としてよりどころとすることを意味しています

第三条が「詔(天皇の命令)を謹んで承る」ですから、天皇陛下のお言葉よりも上位にブッダの教えを掲げていることがわかります

飛鳥時代から現存している中門や古代ギリシャの流れをくむエンタシスの柱の回廊をめぐりながら、金堂そして五重塔へと進みます 法隆寺は世界最古の木造建築物といわれ、日本初の世界遺産にも登録されています

五重塔は仏舎利(ブッダの遺骨を納める建築物)で、インドをはじめとするブッダゆかりの地で、ストゥーパやパゴダと呼ばれる建造物の仲間です ”五”の意味は、万物を構成する四元素に、”空”をつけ加えたものと言われており、大乗仏教の流れをくむことが分かります

太子の遺徳を偲んで奈良時代に建てられた夢殿 天平建築の美しさを伝える八角円堂様式

なぜ現代まで、倒壊や焼失することなく現存することができたのか?

この建築群の謎の1つですが、聖徳太子をはじめとする、飛鳥の世の人々の純粋なブッダへの帰依心や国づくりへの大望が、今もなお天にそびえ、直立を支えているように感じられます

奇しくも、かの時代もまた疫病が蔓延し、政治の乱れを嘆く世相であったことは現代に通じるものがあります 貴族や官僚など一部のエリート層の改革のために取り入れられたブッダの教えですが、やがて民衆へと広く伝わるのは、鎌倉時代まで待つことになります

戦国の世に巻き起こった太子信仰の一大ブームは、もう一度、現代にもやってくるかしら… と思いを馳せつつ、1日も早い世界の安寧のために手を合わせるのでした

今回のインドの旅のもう1つの目的 それは、私たちのヴィパッサナー瞑想グループの50周年記念をお祝いすることです

ムンバイの気候は南インドとは一変し、モンスーンの豪雨が続いていました
10年ぶりという集中豪雨がやってきて、一時国際空港も閉鎖されるほどでしたが、私たち瞑想者たちは皆無事に、この地へ到着しました

人気の撮影スポットとして多くの観光客が訪れる 正門のミャンマーゲート

50年前の7月、初めての10日間の瞑想コースが、インドの地で産声をあげました

観光地としても有名なミャンマーゲートをぬけると、そこは「ダンマギリ」(ダンマの丘)と呼ばれる、グループの本部が建ち並んでいます

その名前のとおり、雨季の天水をたっぷりと含んだ青々とした丘が目の前にそびえたち、いく筋もの滝が白く流れ落ちる光景は、息をのむほどの美しさです インド全土、そして世界中からお祝いに駆けつけた瞑想者たちとともに、この特別な記念日をお祝いしました

深い霧も晴れ、雄大なシルエットをあらわしてくれたダンマの丘

ミャンマーには古くからの言い伝えがあり、ゴータマ・ブッダの教えは、没後2,500年の時を経て、ふたたび発祥の地インドへ返還されるだろうということ そして、インドから世界中に、ダンマ(自然の法)の大河が流れ始めるであろうという、第2の教えの時代の幕開けについての預言でした

わたしたちの瞑想の先生、サヤジ・ウ・バ・キン師とS.N.ゴエンカ師は、この言い伝えをそのまま信頼し、1969年、ミャンマーからインドへの旅を計画されました ゴエンカ師が瞑想コースを指導する機会を得られ、最初のコースには18名の生徒と、4名のボランティアが参加しました

この小さなかけがえのない1歩から、ブッダの教えの「法輪」は、ふたたびインドで静かに廻りはじめ、現在のように、世界中でヴィパッサナー瞑想を学ぶ場が設立され続けるムーヴメントとなるのです

ダンマギリのシンボル、ゴールデンパゴダ 数多くの瞑想コースを見守ってきました

記念のセッションが始まると、それまでバケツをひっくり返したような大雨はぴたりと止み、晴れ間のつづく、穏やかな日々となりました 創立間もない頃のさまざまな苦労話に、涙あり笑いありの、和やかなひとときが続きます どの人たちも、皆いい笑顔で、この特別なお祝いに集い、ともに瞑想できる悦びを分かちあったのでした

***

お祝いの後は、ゴーライのビーチリゾート地にそびえ建つ、グローバル ヴィパッサナー パゴダを訪問しました

10日間の瞑想コースを修了した瞑想者たちは、ブッダの遺骨が奉られたメインドームで、1日中、瞑想をすることができます

ヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴタを模した仏塔ですが、内部は一度に8,000人が瞑想できる、巨大なホールとなっています 瞑想者たちは、敷地内にあるゲストハウスにお世話になりながら、思い思いのリトリートを楽んでいます

柱を一切使わずに建てられた巨大な空間に訪問者たちは驚きますが、世界中に、ブッダ・ダンマの教えが広がりますようにと、ただただ願い、親愛と慈しみに満ちた心だけで形づくられた、無限の時空間が広がっています

偉大な歴代の瞑想指導者たち そして何より、本ものの幸せを授けてくださったゴータマ・ブッダへ、深い感謝と変わることのない献身を胸に、瞑想を続けるのでした

早朝のグローバルパゴダ 訪問客のない、静寂の夜明けの光が広がります

明け方 孔雀たちの合唱で目を覚ますとき、
”あぁ、インドに来ているなぁ”と実感する、朝の幸せなひとときです

アルナーチャラの丘は、今回もやさしく両腕を広げて、わたしを受け容れてくださいました

今年もインドには熱波がやってきて、たいへん困難な酷暑シーズンであると聞いていました
ゲストの宿泊制限が続く中、アーシュラムから滞在のお許しがいただけたことは、なによりの恩恵でした

結局、滞在は2週間にのびることとなり、まるでシュリー・バガヴァーンから ”もっと、ゆっくりしていきなさい” とおっしゃってくださっているかのようで、お言葉に甘えてゆっくりと過ごさせていただいたのでした

こんなに人けの少ないアーシュラムも初めてで、町の中も、ほとんどの外国人が暑さを避けて逃げ出しています 静けさの心地よいアーシュラムに感動していると、これが本来の姿ですと、日本の帰依者さんが静かに微笑まれました

到着した日に待望の夕立ちがやってきて、大地は一気に冷やされ涼しくなりましたが、このスコールは、わたしを2週間この地へ留まらせるきっかけにもなりました

酷暑季をこえても「叡智の丘」の深緑は健在でした

以前から、このシヴァの大聖地で、ブッダの教えが溶けこむことは、難しいことだったのかもしれません 時おり、アドヴァイタとブッダの信奉者は対立し、無用な論争が始まることも、目にしていました

わたしたちのヴィパッサナー瞑想の指導者、S.N.ゴエンカ氏は、ラマナ・マハルシの教えについて、「彼は高度な心の段階を、正しく話されていた」と説明しておられます

「行為者意識を伴わない目覚め」というテーマについては、瞑想の直接体験を通じてのみ到達する高みであり、それは「道はあるが、その上を歩く者=”私”はいない」という、無我の境地をあらわすものです

いずれにしても、まずは心の純粋な行ないである瞑想を始めることが、もっとも大切な一歩であることに変わりはありません

エコフレンドリーの敷地内には、大地に還る立派なパゴダが鎮座しています

そしてこの地にも、素晴らしいヴィパッサナーの瞑想センターが始動しています

前回の訪問時には、まだ建設中だったセンターも、今では立派なパゴダ(瞑想用の個室)が建設され、アルナーチャラの丘をのぞむ、たいへんのどかで平和な場所に位置しています

地元の人たちにとっても評判の高いサンクチュアリで、この地でもブッダの教えが浸透し始めたことは、たいへんうれしい出来事でした シヴァの神性も、やさしいまなざしで、私たちの修行を見守ってくださっていると実感できるのでした

「世界の霊的ハートセンター」と呼ばれるにふさわしく、スイートなこの地の親愛は、どこまでも深く私たちの心を包みこんでくれる、甘露の味わいです

至高の丘に導かれた聖なる方々の歩みを信頼し、わたしはこれからもヴィパッサナー瞑想を続けながら、この聖地への深謝の思いを、決して忘れることはありません

のどかな田園風景と農村が広がる目の前に、聖なる丘をのぞみます

***

ブッダは、ヴィパッサナーの教えに出会う以前にお世話になった聖者や賢者方を変わらず敬い、施しを続けるようにとおっしゃっておられます エタニティもこの教えにならい、ラマナアーシュラムへの寄附を続けています

これまでいただきましたご寄附の総額は、6/1現在で30,000円となりました
全額を、ラマナアーシュラムへの寄附とさせていただきました

このたびも、皆さまから温かなお心づかいをいただきましたことに、心から感謝いたします

気がつけば、1年の半分ほどを国外の瞑想センターで過ごすことが日常となっているこの頃
これまで数々の国を訪問するなかで、はかり知れない恩恵をいただいてきました

言い尽くせない感謝の気持ちに動かされ、今年からお礼参りをするような、そんな旅路のスタートを感じています
その第一歩として、今年はニュージーランドではなくイギリスのヴィパッサナー瞑想センターを訪ね、ボランティア奉仕の日々を過ごしました

奥に見えるのは完成したばかりの円形のパゴダ 瞑想用の独居室(セル)が内在しています

ヴィパッサナー瞑想を学ぼうと思う時、私たちのグループではまず最初に10日間の瞑想コースに参加することを求められます これは、ブッダの深遠な教えのほんのプロローグ、紹介のためのリトリートにすぎませんが、より本格的に学ぼうとする人は、さらに長い期間のコースに参加してゆくことになります

このイギリスのセンターは、その長期間のコースのみを行なっている、世界でも数少ない場所です さらにこちらのセンター長さんは、日本の瞑想センターを設立してくださった初期のメンバーでもあり、その後ニュージーランドのセンター長もつとめられた経験豊かな瞑想者でもあられます 彼らとともに働く毎日は充実の日々で、楽しい奉仕の数ヶ月はあっという間の終焉となりました

***

その後、わたしは休暇もかねてギリシャを旅しました

高校生の頃、“汝自身を知れ”という強烈な金言と出会い、わたしは迷いながらも大学で心理学を学ぶことを決意します さらにユング心理学に親しむことでギリシャ神話を学ぶこととなり、いつかこの古代の神託の地を訪れたいと思っていました

今では世界遺産に登録され、毎日世界中から観光客の絶えない地「デルフィ」
パルナッソス山麓に抱かれたアポロン神殿の風格は、変わらず健在です ここには、5,000人収容の劇場と、オリンピック競技が開催されたスタジアムが今もなお保存され、その規模は圧巻の大きさです

ヨーロッパ文化の源泉 野外劇場の舞台正面に、アポロンの神殿跡が残されています

イルカに変身した太陽神アポロンは、コリントス湾の砂浜からこの神域に降り立ちました “ドルフィン”という名は、この地のデルフォイから派生した名前と言われています 世界の中心(へそ)と考えられ、巫女たちにより告げられた詩句は、時にまつりごとの重要な決定にも影響を与えました 先の格言以外にも “過剰の中の無”や“誓約と破滅は紙一重”といった名高い神意を、今に伝えています

ローマ帝国やキリスト教統治の始まる以前、古代ギリシャ文明の全盛期でもあり、それはゴータマ・ブッダの登場とも重なる時世 紀元前500年とは、ブッダ以外にも世界中で賢人たちが同時多発に出現したことで知られる、いわゆる”枢軸時代”なのです

仏典の番外編のなかにも、古代ギリシャ王とインドの出家者(比丘)との問答が収められています 王はのちに出家し瞑想者となりますが、東は極東の日本まで、そして西でも、南欧のこの地まで確かにブッダの教えが伝播され、思想交流のあったことがわかっています

この時代の伝聞書はたいへ興味深く、インド人は嘘をつかないことや、女性の瞑想者も存在し、彼女たちが堂々と男性瞑想者たちと難解な議論を繰り広げていることなどが、驚きをもって紹介されています 性別や身分、国境、信仰を超えた当時のインドの精神文明が、どれほど自由で豊かであったかを物語っています

アポロン神のシンボル、イルカやタコ、竪琴などと並んでシングル・アイのモチーフも

この時代のギリシャの賢者ヘラクレイトスは “万物は流転する”という、宇宙法則の”無常”の教えを唱えていました ブッダは彼のことを知っていたという逸話も残されているほど ”彼がたいへん遠いところにいる”ことをご存知だったとか… この時代、西洋世界にこれ以上の洞察が深まることはありませんでしたが、現在では立派なヴィパッサナー瞑想センターが各地に設立され続けています

古代から現代に至るまで、大多数の人々に浸透している “人生楽しんだ者勝ち”という愚かな貪り 過去も未来も関係なく、今を謳歌せよという根深い過ちが世界中に蔓延する中で、今、古代の神話の叡智がふたたび息を吹き返し、人々の心の目ざめに手をさしのべてくれているように思います

神々と人間がお互いを尊重し、手と手を取りあい生きていた時代 その後の宗教や科学の登場で、人類はこの豊かな営みをすっかり忘れてしまいましたが、ブッダの教えが復興する一大エポックの現在、清らかな慈愛と彼らの助力のおかげで、私たちヴィパッサナー瞑想者は心を浄化する修習にふたたび取り組むことができているのです

アトランティス伝説の残るサントリーニ エーゲンブルーがどこまでもまぶしく輝きます

5月の新月 汗ばむほどの晴天と新緑のまぶしい1日に、ミャンマー出身の尼僧さまを六甲にお招きして、瞑想会と法話会を行いました

ミャンマーのインジンビン僧院に滞在した折、たいへんお世話になったマンダラ副僧院長を日本へお迎えをする準備をしていましたが、あと一歩のところでビザの発給が間に合わず、今回は来日が叶いませんでした

来日の際に、長老の通訳をお願いしておりましたサッチャー尼僧さまが、長老に代わり説法をいただけるという温かいご厚意をいただき、このたびの実現となりました

マンダラ長老は、かねてより日本への訪問を希望されており、とくにサヤジやゴエンカ師の生徒であるヴィパッサナー瞑想者たちにウェブーサヤドーのことをもっとよく知ってもらいたいという願いをお持ちでした その意思を継がれ、サヤレーはウェブーサヤドーをはじめとするミャンマーの聖者の方々<アラハン>のお話をしてくださいました

日本では、悟りや聖者についての正しい理解がゆきとどかず、考え違いや偏った思いこみもまだまだ少なくありません 清らかな誓い<道徳>を純粋に守る僧や尼僧の方々の法話に耳を傾け、ひとときを共にすることは、これからの日本の瞑想者の成長にとっても、ますます大切なことだと考えています

ミャンマーの瞑想修行者たちが、長きにわたり大切に大切に保持してこられた宇宙の叡智<ダンマ>に触れ、彼らのすぐれた特性を学びながら、私たち外国人も同じように善い心を育んでゆくことは、かけがえのない修養の1つです

この機会を通じて、ミャンマーの人々の心の寛容さ、大らかさ、広やかさを実感していただき、ブッダの最側近で仕えつづけた真っ直ぐな心に、少しでも触れていただけたら… と思っています

サヤレーのお話は、こちらでご覧になれます 慈しみ深く私たちを励ましてくださるお心を、きっと感じていただけると思います

「この世界でもっとも高い功徳<パーラミー>は、宇宙のことわり<ダンマ>を授けることである」と、ブッダはおっしゃっておられます

サヤレーは、私たちの真摯に坐る姿に心を動かされ、この日にシーラ<戒律>を授けてくださいました 新月の日<ウポーサタ>にサヤレーに高いパーラミーを積んでいただけたことは、わたしたち在家の日本人瞑想者にとっても得がたい善い行為<カンマ>を積ませていただいたこととなるでしょう

生まれ変わりの苦しみを自ら捨断された聖者がたの智慧 ブッダの時代から称讃され崇敬されている聖なる集い<サンガ>に心を寄せながら瞑想に取りくむと、格段にその進歩を実感することができます これからもますます、ブッダの教えがこの国にも純粋に伝わり、発展しますように

***

このたびの法話会にご寄附をいただきました総額は43,000円となります
新月の日に、サヤレーへお渡しをさせていただきました

奉仕をいただきました方々をはじめ、皆さまの温かなお心づくしをいただき、
本当にありがとうございました

恒例の瞑想コースに参加するため、今年はタイを訪れました ミャンマーと同じくテーラワーダの仏教国でありながら、その発展はすこし様相が異なっています

隣国どうし仲が悪いのはよく耳にする話しですが、この両国も残念ながら争いの歴史を抱えています スコータイからアユタヤにかけて栄えた王朝も、ビルマ軍に占領され滅亡してしまいます 今もなお、破壊され廃墟となった王朝跡が遺されています

戦乱により切り落とされた仏頭が、木の根元に残されたままのワット・マハータート

ブッダの瞑想法を何千年にもわたり保存し保護してきたビルマと違い、この国では心の清浄という伝統、ヴィパッサナーの智慧は次第に忘れ去られ、安らぎやリラクゼーションを目的とするサマーディ瞑想や、肉体を浄化する方向へと徐々に逸脱してゆきます 精神性よりも物質性に重心が傾き、それは現在のマッサージやヨーガ、様々なボディーワークの発生乱立へとつながっているようです

ここに、わたしたちが学ぶことのできる多くがあることに気づかれるでしょう わたしたちの心は見かけの事実に翻弄されやすく、物質への執着をなかなか手放すことができません 四六時中、体の面倒を見、粗粗しい現象に目を奪われ、落ちついて現象の本質を見通すような心を育てることが難しいのです 

スリランカから渡来した黄金の仏像がおさめられている ワット・プラシン

宇宙の理(ことわり)について、いまだ心眼の開いていない人のことを、”凡夫”と呼びます 個体性や個別性といった個我への固執が強く、人間本来の生き方へと心が開いてゆきません 宇宙の叡智を学ぶ最高のタイミングを迎えていても、世俗の因習から足を洗うことができません

これは、たとえ宇宙の最上の階梯に生まれ変われたとしても、その次元で ”観察する” という智慧が生じなければ、どこまでいっても ”平凡な生命体” なのです それほど物理の慣性から脱することは、ときに強い決意を必要とするのです

タイ古式マッサージの総本山として名高い、ワット・ポーの大涅槃仏

この国の寺院はどれも煌びやかで華やかです 数えきれないほどのジュエリーで彩られた寺院や仏像が並んでいます 心の純化の象徴である ”鉱物の結晶化” に魅了されたことも、この国の仏教の特徴と言えるでしょう タイの国宝、エメラルドブッダの伝説は有名です

心の浄化とともに、物質次元にもさまざまな自浄作用、化学反応が起こります この自己治癒の過程は、特に健康問題を抱える人にとってはたいへんな魅力に映るのでしょう 一過性のプロセスに決して惑わされることなく、どんな時も真直ぐな心で進んでゆきたいと、思いも新たにした旅路でした

新年の幕開けを告げる美しい満月の月光に浴しながら、今年も多くの人々にブッダの恩恵がゆき届きますようにと、願わずにはおれませんでした

3ヶ月にわたる雨安居明け 乾季の始まるミャンマーの秋は、満月のお祭りで彩られます

ブッダの時代 彼の秘書をつとめていた従兄弟のアーナンダがブッダと交わした、たいへん有名なスッタ(経典)が残っています

 ”善い友と出会うことができれば、瞑想修業の半ばを達成したことに等しい” アーナンダはブッダに問いかけます しかしゴータマ・ブッダは、その言葉を諭します
”善友に巡りあうことは、瞑想の道のすべてを完成したことに等しいのだよ” と

わたしたちが出会う1番の朋友は、紛れもなくブッダご自身です わたし自身、彼の生徒となってから、人間関係のすべてが一変してしまいました 想像も及ばないような方々との交流が始まり、それは今回のミャンマーの再訪につながっています

インジンビン村にあるパリヤッティ僧院 ビルマ様式の寺院が出迎えてくれます

ブッダのさらなる庇護と友愛を求めて、わたしは悟りの最高のステージを修めた比丘の僧院より、滞在の許可をいただきました

悟りの最高峰を極めた聖者の方を、テーラワーダの伝統では ”アラハン” と呼びます 自然の法則では、心の浄化には4つのステップがあり、その順に沿って人は心の進化をたどってゆきます 現在ブッダの教えの続く5千年期の半分以上が過ぎ去っていますが、第2期の始まる2,500年の節目のころ、この国には多くのアラハンがいらっしゃいました

それは第2期のヴィパッサナーの幕開けを告げる、輝かしい時代の到来を意味するのですが、世界は大戦に明け暮れるという暗い時期でもありました エタニティでご紹介しているヴィパッサナーのテクニックは、サヤジ・ウ・バ・キンという瞑想者の伝統によるものですが、彼もまた、この新しい時代のパイオニアでした

僧院内のロータスポンド 早朝には美しい蓮の花が咲き、沐浴の姿も見られます

わたしたちが仰ぐグランド・ティーチャーである彼は、かの時代のアラハンのお1人、
ヴェネラブル・ウェブ・サヤドーとの親交を育みました これはミャンマー国内でも稀有な逸話として、今もなお語り継がれているものです わたしは、この聖者が生まれ入滅した村にある彼の僧院へと赴きました ここはアラハン存命の時代から、ミャンマー国内はおろか、世界中から人々を惹きつけてきた聖地であり、現在も多くの瞑想者たちが来訪し、その訪問が途絶えることはありません

田んぼとピーナッツ畑が延々と続くのどかな風景は、どこかなつかしい郷愁を想わせます まるで、ブッダガヤのお隣のセーナー村を歩いている時のようなデジャヴに駆られました 現在でも交通の不便なこの場所に、かつては多くの群衆が集まり、大僧正は日に10回近くも人前で講話をしなければならなかったと聞きます

チャウセにあるパティパッティ僧院 聖者が4年間瞑想修業をしたケーヴ(洞窟)

僧院の1室をいただいて瞑想を始めると、今もなお聖者の波動がわたしたちを教え導いてくださることがよくわかります

輪廻転生の束縛から完全に自由となった生命 彼は、ブッダの無上の教えであるサーサナが、今この時代この惑星に力強く降り注いでいること、わたしたちが正しい時と場所に人として生きている幸運を、くり返し説きつづけてくださいました

新月と満月、そして上弦と下弦の月齢を迎えるウポーサタの日には、近隣の村人たちが行進する太鼓の音が、おごそかに響きわたります 人々は僧院へと集い、布施をおさめブッダの教えを聞いて八戒を守り過ごします 連綿とつづく見事な習わしの中に身をおきながら、ビルマ中が光に包まれる灯明祭の美しい満月を心に浸透させ、このゴールデン・ランドをふたたび後にしたのでした

南半球では先住マオリのお正月である冬至を迎え、今年は新月とも重なって、新鮮なスタートを感じるにふさわしい好機を迎えていました

毎年の恒例となっているニュージーランドの瞑想センターでボランティアの日々を送りながら、オフの日にはご近所にお住まいの日本人のご家庭で骨休めをさせていただくこともしばしばです

今回、お世話になっている清野さんご夫妻が、ニュージーランドでオープンサークルを開くお手伝いをしてくださることになり、4年ぶりに分かちあいの機会をいただくこととなりました

ご夫妻はご自宅でファームステイやファームクラブも運営されており、田舎暮らしをご家族で満喫しておられます

敷地内の小高い丘をのぼると、のどかな牧草地や原生林を遠望できます

分かちあいでは、まず”サットサン”についての素朴な質問から始まりました

これはインドに伝わる風習で、日常の会話とはちがい、心の真実、本心を素直に語り問いかける集まりです 大げさな、あるいは過小な表現を避け、純粋で健全な言葉を使うことは、私たちをダイナミックな変容へと導く力を持っています

今回は、占星術やヒーリングについてのシェアの多い集いとなりました 私たちが瞑想を行っていく目的は、心の浄化のみに集中して専心してゆくことです この”正しい歩み方”と言われる道には、いくつかの誘惑や落とし穴が潜んでいますから、不注意であることをできるだけ避け進んでゆきます

浄化が進むほどに、自然に奇蹟や幸運が舞いこむこともあるかもしれませんが、このような単なる化学現象に目を奪われないよう気づきつづけます さまざまな化学反応の一部分のみを取り出して詳細に探求されたものが、じつに多くの伝統やテクニックとなって、今では数えきれないほどの精神世界のアイテムが散在し、混乱をきたしていると言えるかもしれません

ちょうど新月の日の朝にお披露目となった ”足もみサロン Waewae” の素敵なサイン

これは、1人1人が内なる叡智に充分に気づいていない、何よりの証でもあります 自身の智慧を育み、正しく理解できるようになれば、どのような技術にも依存することなく、また何か1つの偏った方法に執着することなく、自由に生きてゆくことができるでしょう 直接体得し、納得できた自身の智慧は、決して私たちを裏切ることはないのです

私たち瞑想者は、人々を強く条件づけ、輪廻への固い縛りを生むさまざまなエネルギーワークや預言には、一切触れることはありません これらは人々の心を惑わし、最も重苦しい心の束縛を、ただ増すだけだからと知っているからです

自然な呼吸へ向けた純粋な意識さえ忘れなければ、私たちが足下をすくわれることはないでしょう 最後には皆で呼吸の瞑想を練習しながら、和やかな集いはあっという間に終えんを迎えたのでした

ポットラックパーティーがさかんなニュージーランドならでは 充実のスィーツタイムです