真実について、ブッダは「無」と言い、ラマナは「在」と表現しました
どちらも正解であり、またどちらも、正確にはすべてを言い表わせていないでしょう 言葉や知的な解釈では、とうてい不可能なこと それは私たち1人1人が、自分自身の直接の体験の中で確かめてゆくしかありません
これまで信じてきた”仮そめの私”を、どうしても手放すことができない あるいは、せっかく努力し、勝ち取ってきたものが、すべて幻だったなど認めたくない… 憤りや失望が、絶え間なくやってきます 幻の私はさらに、常に完璧を求めます いつも50点をめざしてやりましょう、と言っているのは、やり過ぎず、なまけ過ぎず、ほど良いスペースを、真実のために空けておいてもらいたいからです
私たちがこの世に誕生して、まず最初にすることは何でしょう? そう、呼吸です そしてその次は? おっぱいを飲みます そう、食事をします そして、私たちが命を閉じる最後まで、忘れずにしていることは、何でしょう? ―そう、呼吸です...
この、とてもシンプルな事実に、私たちはほとんど気づくことはありません しかし、私たちはこれらを忘れず、言葉や知識で教えられることなく、自然に行ってきました これこそが、私たちが生まれながらに持っている、あるがままの姿です 私たちがオープンサークルで気づこうとしているのは、まさにこのことです
この当たり前の真実に気づく時、私たちはこんなにも近くに、豊かな恵みがあふれていたことを識り、驚きます 悟りを、もう特別なものにするのは終わりにしましょう これは、私たちが最も上手にやっている、当たり前のことなのです
こちらニュージーランドでは、静かで穏やかな瞑想生活が続いています ムーンカレンダー(太陰暦)を中心とする毎日で、旧暦の4月8日にはブッダの2,557回目のお誕生日をお祝いする、ウエサク祭りがありました ロータスランタンを手づくりし、皆で瞑想したあと、精進料理をいただきました
日本には、残念ながらブッダ直伝の教えは伝わらず、アジア諸国の思想が融合した”仏教哲学”が伝来しました しかし本来のブッダの教えは、とてもシンプル ”呼吸”という、これ以上簡単にはできないものを通じて、本来のわたしを見出し、今もなお、気づき(サティ)の大切さを私たちに教えてくれています
知人の尼僧が運営する仏教センターでは、このいにしえのブッダの教えであるヴィパッサナー瞑想を伝えています 本来、仏教徒というのは、仏像を拝んだり念仏を唱えるのではなく、”瞑想者”を意味します このセンターは、手つかずの原生林に囲まれた広大な敷地にあり、目の前のブッシュでは、毎夜、ニュージーランドの国鳥で固有種でもあるキーウィの鳴き声がこだまします 新月の頃には、降り注ぐような満点の星々や流れ星を堪能でき、満月の頃には、サザンクロスやオリオンの三ツ星がやっと見えるほど、月光が闇夜を明るく照らします
私は今ニュージーランドの北島、ベイオブアイランズとよばれるエリアのケリケリという町の郊外にいます キリスト教の祝日、イースターホリデーの初日のグッドフライデーにこの地にやってきました キリストの死と復活へ想いを寄せながら、こちらでの滞在がスタート 日々の様子も、少しずつこの場でリポートしていけたらと思っています
さて、新月の日にはこちらからの初めてのオープンサークルを開催しましたが、インターネットの回線がうまくつながらないアクシデントがありました 核心を表現しようとする時、回線はいつもうまく切れるのです 私たちは、受け容れがたいことを、知らず知らずのうちに避けてゆく傾向があります どうしようもないみじめさや情けなさ どのような人の奥底にも沈んでいる、幻の私です しかし私たちは、この言葉にできないやるせなさへの一切の抵抗をやめ、どんな策略も手放して、ただこの瞬間の静けさに在ることができます 内なる地割れや津波がやって来たとしても、それを静かに受け止めることのできる強さを、持っているのです
満月のサークルでは、お金についての質問が多く寄せられました 特別な私どうしの関係 そこには、いつもお金が介在します 幻の私は、どうすればもっと多く取れるのか、もっと多く蓄えられるのかを常に考えます しかし、本来のわたしは、いつもどうすれば分かち合えるのかに意識を向けます いつも満ちてあふれ、ただ与えるのみです 今、多くの個人や組織がお金のやりくりに困っているのは、皆深いところで、本来のわたしを取り戻したいと思っている顕われのように、わたしには映ります このハードルは、おのおのがバラエティにつくった内なる幻のエベレストを、自ら崩していくほかはないでしょう だからこそ、それを日常の中で取り組りくんでゆくことが大切なのです 一流の科学者のまなざしを持って、精巧に観察してゆくこと それは、瞑想のマスターたちが深く内観していることと、何ら変わることはありません
新月のサークルでは、科学と目ざめの接近について分かち合いました 気づきのないところでは、絶えず創造や破壊、進化や退化が起こり続けるように見え、騒々しく思えるかもしれません 底なしのヴィジョンの中で、時には自らを、神や超越の存在と勘違いし、エゴのインフレーションが起こるかもしれません しかし、あらゆるサイクルの中にあっても、私たちは神としてではなく、ありのままの人間として、今ここに生きることができるでしょう
満月のサークルでは、気づきのないところ、内なるブラックホールについてさらに深い分かち合いが起こりました 自分自身を、もうこれ以上ごまかしたくない、欺きたくないと思い、真実を語り広めたいという気持ちが芽生えることがあります しかし、すでにすべてにゆきわたっているものを、これ以上広めることはできません 私たちはこの真実に気づき、今という現在を、そのままにしておくことの最上を知るのです 長い間、輪廻転生の物語の中に避難していたもの、自分自身がなくなってしまうという恐れと向かい合い、もう先延ばしにはしないと確かめあう集いとなりました
新月の集いの後には、これまでオープンサークルへご参加いただいた有志の方々のお声かけにより、エタニティへの感謝のパーティーを開いていただきました
私たちのイベントでは、すっかりおなじみとなった『3p.m.さんじ』さんのケータリングを、今回もご用意いただきました ”音の集い”ということで、お料理の中にも、美味しそうな音符が踊っています
「ささやかな音と感謝の集い」と題して、皆さんお1人お1人のハートからあふれる想いを、歌や演奏にのせて表現していただき、感動のやまないひとときとなりました
その中でも、今回ディジュリドゥでご参加いただいた稲垣遼さん 穏やかな呼吸から生み出される演奏は、これまで聞いたディジュリドゥの中でも、もっともやさしい音色のように想い、心が安らいでゆくのを感じました ただシンプルに今をあらわすことの素晴らしさに、あらためてその尊さを思う夜となりました 集いの最後には、みんなで『Let it be』を歌いました 「ただそのままでいい」というメッセージを、いつまでも忘れずにいたいと思いながら… ご参加いただきました皆さん、本当にありがとうございました
オープンサークルでは探求の旅について、山登りにたとえてお話しをさせていただいています 9合目からの最後の1合は、今まで手に入れてきたすべてのものを手放し、たった1人で進まなければなりません この真実に向き合う時、せっかく苦労し手に入れたものを手放すなんてと、怒って山を下りてしまう人もいます また、自分はもう何も持っていないと言いながら、しっかりと後ろ手に隠し持っていたり、本当に全部手放すの?と面食らうばかりだったり… 特に心の中の持ちもの、思考やイメージの中毒から抜け出せないことは、様々な苦しみの引き金となるでしょう 今この瞬間の中に丸ごとダイヴする恐さとともに、その勇気の尊さについての分ち合いが生まれました
また、最後の1合目で現れる様々なイリュージョン、トリックについての話しもありました 喉が渇ききった時に見る、砂漠の中の蜃気楼です つかんでもつかんでも、手の中からするすると夢は消えてゆくのに、それでもその先へ先へと追い求めてしまう そのむなしい努力に力尽きた時、私たちはようやく、源の中心へと還ることができるのでしょう どんなに嵐が吹き荒れていようとも、その中心はいつも穏やかで平和です それはちょうど、台風の目のように、あらゆるサイクルの中心の静けさをあらわしてくれているようです 今まで目を反らしていたものに、真正面から観てゆこうとするたくましい姿に、心が揺さぶられるひとときでした
2013年最初のオープンサークルは、新月のタイミングでスタートしました 多くの人たちに起こり続けている、意識の目ざめ 探求してきた人たちも、またそうでない人たちにも、同じように祝福が降り注いでいるようです とても面白い時代が、やってきているのでしょう 本当のことに気づき、瞬間瞬間、私の命を歓んで差しだしてゆく 古代の儀式で生けにえを捧げていたことは、決して野蛮な行為とだけ見るのではなく、私たちの心が生みだした、真実への畏敬や絶対の信頼だったのでしょう 心が熟し、期が熟しています 神話や伝説をひも解きながら、明け渡しについての分かち合いが続きました
また満月のサークルでは、宇宙と意識の誕生や音と光がテーマとなりました 過去や未来へ意識を集めるのではなく、ただ「今」の中でリラックスし寛いでいる時、目の前にあらゆる叡智が現れてくるかもしれません 科学者や哲学者、芸術家や詩人たちが気づき、覚者たちが伝えてくれたものが、音もなくぱたぱたと端から開かれてゆくのを観るかもしれません そんな中に在りながらも、源から湧きあがるものを、ただそのまま素直に表現することの大切さも分かち合いました 本当の言葉や思いを表わすこと それは周りへ向かう表現ではなく、自分自身に届け、響かせる行為です そして相変わらず、目の前に問題や質問がやって来ようとも、あるいは内から外から、批判の声が聞こえてきても、私たちはただ静かな本当の場所で、幸せで在ればよいのです
今年最後の新月のオープンサークルでは、誰もが素晴らしい解放を感じる歓びの中で、静かに分かち合いがスタートしました 言葉にできない確かな”何か”が、お1人お1人に訪れているようでした あまりにも身近に存在していたものとの再会 目ざめていようがそうでなかろうが、誰にでも平等にゆきわたっている恵み その安らぎに、いつまでも溶けていたいような、そんなひとときでした 私たちの心の底からやってくる自由を求める情熱 ただそれを信頼し、あらゆる努力や作戦を手放してゆく先にあるくつろぎの中で、本当に欲しかったものと共に在り、ただ安心して過ごすことを確かめあいました
満月のサークルでは、厳しい寒さへと向かう季節の中で、より体にフォーカスする分かち合いが起こりました この時期は心も体も縮こまり、内側へと入ってゆくにはよいのですが、周りとの調和が難しくなるシーズンでもあります そのバランスをとるかのように、この季節には、多くの人たちと集まる楽しいイベントが用意されているのかもしれません これまで頑張りすぎて負担をかけていた体の様々な場所から、こりや固さに気づいてもらおうとするメッセージもやってきていたようです 心と体にとっては、時間は何よりの休息、癒しとなります 決して焦ることなく、真実がその表現をあらわす、この心と体という舞台を慈しみ、本当の私と共に人生を歩んでゆきましょう
また冬至の日には、これまでオープンサークルへご参加いただいた方々をお招きし、新年を祝うパーティーを開きました
古来より、冬至の日は太陽が再び命を吹き返す日、死と再生の象徴や新年の始まりとしてお祝いされてきました 今では、この叡智の暦が使われることはほとんどありませんが、今年はとくに特別な冬至として、少し世の中は騒がしくなっているようです 1年でもっとも暗い冬の底 闇から生まれる新しい息吹きを皆で歓び、祝う日としました
その日の星々の運行を読みながら、お祝いのメニューを組み立ててくださる『3p.m.さんじ』さんのスペースをお借りし、お野菜や穀物を中心としたお食事のあとは、オープンサークルにも何度かご参加いただいている高山晴代さんをゲストにお迎えして、あきこのアイリッシュハープとともに、歌を披露していただき、皆で声を合わせました
この新年の集いでは、「食べること」「歌うこと」「呼吸すること」など、私たちの”口”から生まれる創造に光を当てました
ラマナ・マハルシの大切な教えの中で、悟りのためには、私たちは人生のどのような状況も変える必要がないことを教えてくれています しかしたった1つ、食事についてだけ、彼は変えてゆくことを私たちにうながしました 彼のアシュラムでは、とても美味しく滋養の高い、南インドのピュアベジタリアン料理が訪問者へふるまわれます 私たちが目ざめについて思い悩むその前に「まずは命を満たしなさい」と、今でも伝えて続けてくれているかのようです
「食べること」とは、とても深い行為です 食物からだけでなく、私たちの心と体はたえず栄養を必要とし様々なものを味わっていますが、心と体が満ちることで、自然と私たちの存在のあるがままが花開きます その歓びを歌やマントラにのせて表現し、最後には静寂の中で、何の意図も発しない静かな祈りの中で、皆とともに過ごしました
すべての可能性へと明け渡してゆく、1年のはじまりです
今年1年、さまざまな場面でエタニティと出会ってくださったすべての皆さまへ
心からの感謝をお送りします 本当にありがとうございました
今年ご寄付をいただきました総額は、12/27現在で264,000円となりました
運営費の178,500円を差し引き、残金は85,500円となります
運営費の内訳は会場レンタル代やお茶菓子代、サイレントリトリートの宿泊費、ニューイヤーパーティーの食事代、ホームページの管理費、ビデオチャットの機材費等として使わせていただきました 残金の半額43,000円(送金手数料を含む)を、ラマナアシュラムへ寄付させていただき、残りの42,500円は来年度の運営費として繰り越しをさせていただきます
皆さまの温かなお心づかいをいただきましたこと、ここに深く感謝いたします
本当にありがとうございました
そして来年もまた、どうぞよろしくお願いいたします
追伸:7月に開催した海の日のコンサート ミネハハと葉山のアーティストが再び集まり、東京でコンサートを開きました やわらかでやさしいコラ(アフリカの民族楽器)とインディアンフルートの調べにのせて、ミネハハもより自然体で歌うことの大切さを実感したそうです 来年へ向けて、さらに新しいアイデアも生まれてきているとのこと 今後の活動が楽しみです
今月よりオープンサークルは新月と満月の2回の開催となり、ビデオチャットによる参加もスタートしました
日食と重なった新月のサークルでは、闇から生まれてくる光、この2つが手を合わせ世界を創造してゆくさまを分かち合いました 日常のあらゆるシーンの中で、本当のことと幻の見極めを楽しみながらも、自分で創ったその幻の中へ、いよいよ入っていくのだと、勇気を持ち決断する時がやってきている方もいらっしゃいました
また、私たちはすでに存在する者であり、その真実に揺るぎない信頼をおき、どのような状況が起ころうとも、ただ気づいて観ることの尊さを確かめたのでした
そして満月のサークルでは、新月で発せられた観ることへの揺るぐことのない勇気を、直接体験し分かち合うという贈り物がやってきました
年の瀬に近いシーズンのためか、キリストや救世主についての話題にはじまり、私たちが使命を持って何かを救おうとしたり正そうとする努力は、私たちの本当の姿ではないこと、そして救わなければならない人や罪のある人たちなど、本当はどこにも存在していないのだということを確かめあいました
またある参加者を通して、恐怖や抵抗の感情がそのままの姿で表現される場面もありましたが、その顕われはその性質のとおり、生まれてはプロセスを経て、そのまま元の静かな場所へと還ってゆきました 突然の表現が生まれたことに、参加者の中には同じような恐怖を体験された方もありましたが、誰ひとりその場から目を背けることなく、ただそこに在り観ることだけが起こりました
イリュージョンは、安心して表現し、無に還ってゆける場を探しているのでしょう 私たちが日常の中で続けている、観ることへの深まりが、この日のプレゼントになったのではないかと思い、とてもうれしく思う一場面でした
澄みきった秋空が広がる中、緑に囲まれた素敵なログハウスをお借りして、サイレンスリトリートを開催しました
参加者の皆さんが到着される頃から、静かな雨が降り始め、夜中には雷光がひびく嵐の夜となりました 薪ストーブを囲みながらの毎夜のナイトサークルは、私たちの存在から投げかけられる、奥深い気づきと分かち合いの連続でした
このリトリートでは、まず内側に起こることにいつも気づいていること、そして呼吸を忘れないことを意識して過ごしました また、朝の目覚めの瞬間を静かに味わうことで、どのような体験が起こるのかも観察してゆきました まるで1人で過ごしているかのように、自身と静かに向き合い、夜に見る夢も大切にあつかうよう心がけました
2日目は、嵐が過ぎ去ったみずみずしさに満ち満ちた、きらきらと輝く日ざしの心地よい1日となりました 1人で、あるいは皆で共に、ただ坐ること、食べること、寝ること、体験を分かち合うこと、というシンプルな1日を過ごすことで、私たち本来の感性がよみがえり、本当のわたしが自然に呼びさまされてくることを感じてゆきました
「ただ思い出すこと」 もうすでに、当たり前のように実現している本当のわたしが、こんなにもすぐそばに在ること 悟りとは、まったく無理がなく、また特別な状態でもないこと いつもやさしく、ただ私たちを見つめているもの そんな、私たちをとりまくあらゆる叡智を、ただ思いだしてゆくだけでよいことを分かち合いました
呼吸の導きをたよりに、新たな気づきや記憶が呼びさまされ、体調の不良が改善される方もいらっしゃいました
3日目には、満月のオープンサークルを開き、新しい参加の方々を迎え、さらに真実を味わい、思考を手放してゆくことや、全体でありながらも個であるわたしを、ただ認めゆだねてゆくことの幸せを分かち合いました
毎食、自家栽培のお野菜を中心とした美味しい創作料理をふるまってくださり、リラックスし安心して過ごせるスペースを心よく分かち合ってくださったスピークイージーのオーナー夫妻にも、心からの感謝をお送りしたいと思います
台風の上陸がせまる9月の午後、オープンサークルを開催しました
潮さいの音に耳を傾けながら、さまざまな揺さぶりや変容の波が、次々と私たちに押し寄せるかのようでした これまで見過ごされてきたものが、真正面から私たちに観ることを迫るような、そんな分かち合いが起こりました
様々な記憶や感情が打ち寄せてきますが、それは決して、個の人生だけで語れるものではなく、繰り返されてきた過去をひも解く機会でもあります その解放に向き合う準備のできた人たちが集う場でもあったように思います
行き先を「決める」こと ただこれだけのことが、どれほど気の遠く、彼方にあることのように感じるでしょう しかし私たちは、この”長い道のり”という、時間と空間の幻にピリオドを打ち、今この瞬間、この場所で生きることができます 1ミリの疑いにも惑わされることなく、また先延ばしにすることなく、確かに広がる自身の内なる真実とともに生きると、今ここで、決めることができるのです
8月は2度の満月がやってきました それはいつの頃からか、ブルームーンと呼ばれています
今月はアオテアロア(白く長い雲のたなびく地)で過ごしました 早春を迎える季節の中で、梅や早咲きの桜を楽しみながら、内側の静寂に導かれ、旅を続けました
本当の私と、ただシンプルに生きる、多くの仲間たちとの交流がありました それはいつも、約束されているものではありませんでしたが、導きの先にはいつも、美しい出会いが待っていました その中には、先住の方々の叡智に触れる、素晴らしい機会もありました
太古の叡智の中では、雄大に天空を舞うドラゴンに導かれ、その道に運ばれてゆくことの大切さが言い伝えられています ドラゴンとは、わたしたちの命そのもの、体験そのもの 内なる静寂から生まれる、大いなる流れです それはいつも、私たちの真実の場所から、今この瞬間、生まれています
内なるドラゴンが外側に姿を現す「水」 この旅の中でも、水は様々に形を変えながら、私を見守り導き続けました 雨、雲、雷、霧、滝、海、風そして虹…
皆さんのドラゴンはこの夏、どのような旅路を楽まれていたのでしょう またお会いし、分かちあえることが楽しみです