2021年10月 栂尾山 高山寺
2021
照もみじには少し早い、高く澄みきった秋晴れの日に、高山寺へお参りに行ってきました
こちらは京都はもとより、日本有数の紅葉の名所である高尾の景勝地で、鎌倉時代に明恵上人が時の上皇からたまわり開山されたお寺です
武士という身分の人たちが出現し、各地で反乱を繰り返すようになり、政治の実権をにぎりはじめた時代
朝廷と幕府の戦乱が続くなか、天災や飢餓も広がり、民衆たちは不安や失望感からの救済を求めていました
ここに、「鎌倉仏教」と呼ばれる一大文化が花開いてゆき、数多くの新興宗派が生まれ、現在に至っています
その中でも、日本の仏教の特徴である開祖(教祖)主義に陥らず、ブッダの教えそのものに帰依をしようと生涯をかけたのが、明恵上人でした
彼の教えは華厳を基礎にしていますが、戒律を重んじることが特徴で、日本の名僧と呼ばれる方々の中で唯一、戒律を守りきった清僧として、後世の民衆たちにも末長く尊敬を集めています
明恵上人は、腐敗の蔓延する日本の仏教界に真の師を見いだすことができず、夢の中に出てくる梵僧(インド僧)に導かれながら、修行を深めてゆきます
ブッダへの思慕がおさえきれず、2度にわたって天竺行きも計画しています
上人は、三蔵法師の『大唐西域記』を参考にして、1日何里歩けば王舎城(ラージギル)へたどりつけるのかを細かく計算されていました
こちらは、重要文化財 『大唐天竺里程記』として保存されていますが、結局、断念せざるを得ませんでした
残念ながらこの時代のインドはすでに、ブッダの教えは消えさっていたのでした
上人は、「夢日記」を残しておられることが有名で、わたしたち専門家にはこちらの資料のほうに親しみがあるのですが、ヴィパッサナー瞑想を始めて、再び、彼の志しに導かれることになるとは思ってもみませんでした
上人は、この時代の日本人とは思えず、たいへん合理的な精神をもつと同時に、深い慈愛を持ちあわせた方でもありました
戦乱の世で未亡人となった女性たちのために尼寺を建てたり、自然界に対しても人間と同じように接するお人柄でした
上人の臨終時のエピソードは、とりわけ感慨深いものがあります
ブッダが入滅された時と同じ寝姿のまま、弟子たちに教えを説き見守られながら、その生涯を閉じました
上人の教えの真髄、「あるがまま」ではなく、「あるべきやうわ」
今ここの、瞬間瞬間の時と場において、自らの問いと答えをよりどころとして生きてゆくこと
現代の私たちの心にも真っ直ぐに届く教えとして、今もなお力強く生き続け、励ましをいただけることを実感するひとときとなりました