美しい中秋の名月を堪能した明くる日、オープンサークルを開きました

数えきれないほどのいにしえの賢者たちは、私たちが本当の自分自身、本質と出会うために、たった1つの方法を試せばよいと繰り返し伝えてくれています

それは、今この瞬間、完全に静止すること

心も体も、余計なことを一切せず、ただ留まること
思考も努力もビジョンも、一切必要ありません
しかし、どうしてこれほどまでに、このたった1つの実現が私たちにとって難しいのでしょう

ゴータマシッダッタは、そこに3つの覆いがあると教えてくれました
それは欲望、怒り そして無知
その中でもとくに、真実について、いまだに識ることさえゆるされていない無知は、
最も深い闇だと説かれました

私たちの社会や日常の中には、苦しみや空しさが満ちあふれているように映ります しかし私は時に、この最も深い闇を打ち破ろうとするがために、人々はあえて苦しみの中へと飛びこんでいく様に見えるのです ようやく、幻の私という限界へ迫ろうとしている、祝福や恩恵を目前に控えた人々のように見えるのです

真実のわたしは、想像の入る余地がまったくないもの
限られた、縛られたものではありません

そして私たちの最奥で、声なき声で語りかけられているささやきに、内なる耳を澄ますこと
静寂の中で、第3の耳が開かれることの大切さが言い伝えられているのは、このためなのでしょう

台風一過の梅雨の晴れ間がのぞく午後、オープンサークルを開きました

私たちが、内なる本当のわたしに気づきはじめる時、人生はゆっくりと静寂のほうへと舵をとりはじめます 日常のどんな瞬間にも、本当のわたしと生きることが人生のメインの仕事となり、この一見何もしていないように映る生き方が、あらゆるものへと広がり影響を及ぼすことになるのです 私たちはこの大切な仕事を引きうけ、ますます真実を護りいつくしむようになるでしょう と同時に、私たち自身もまた、真実から護られ、大切に尊ばれてゆくのです

さらに、もっとも深い2者関係のひとつである母子についても、分かちあいが生まれました 「命は、”苦しみ”から生まれる」 最近、エタニティにおいでになる母親たちが口にされる言葉です 本当のことをとらえ始めた彼女たちは、幾千年にもわたる、実現しえなかった数えきれない苦悩(子どもたち)を産み出したことに気づかれるのです 命がバトンしているものが何なのかを、そのままの姿で観ることができた時、私たちはようやく安堵し、解放の道へと導かれてゆくのかもしれません

梅雨の季節は、美しい紫陽花をはじめ、一日花の娑羅を楽しむことができます

この分かちあいが続いている間、わたしは始終、摩耶山の山上におまつりされている、仏陀の生母のことを想っていました ここは、この国では唯一、摩耶夫人をおまつりしている、慈しみ深い精気を放つ場所です そこから流れくるあふれんばかりの内なる湧水に、心身をゆだねていました もしかしたら、この清々しい流れは、皆さんのところへも届いていたかもしれません

今月は、六甲ではじめてのオープンサークルを開きました

これまで皆さんと分かちあってきたものが、この山すそで、また新たに展開されてゆく喜びを実感するひとときとなりました

今という瞬間の中に、心と体、まるごと飛び込んでゆくこと そしてその時は、いつも呼吸を入り口として扉を開いてゆくこと

皆さんとどの時も調べてきたことですが、時にそれは、首だけを少し突っこんだだけで終わったり、一瞥だけでわかったような気になるという落とし穴も体験してきました 真実と出会うとき、決してこの体全体を置き去りにせず、内側で起こるすべての六感を味わうことを改めて確かめる集いとなりました

この細やかで繊細な道 決して押しつけられることなく、私たちに触れることなく、やさしくそこに在り続けるもの 何世代にもわたる命が、ただ”それ”と出会うために準備してくれた、壮大なうねりに気づくとき、私たちは今、自分が何をすればよいのかが明瞭にわかります そして毎瞬毎瞬、わたしにしかできない仕事をやってゆくのです

これは、悟りのマスターにも初心者にも、まったく平等に開かれた道です そこに優劣は一切存在せず、わたしたちが本当のことに目を開いてゆけばゆくほど、どの命も皆、この至福のジュースにどっぷりと浸かり、見護られていることが明らかになるでしょう

1本の直線の時間ではなく、まるで1点に、音もなく滴るひと雫のように、深まりゆく時を味わう満月でした

”これが私だ!”という個の感覚は、どれだけのワクワクと興奮を私たちへ届けてくれていたでしょうか ”私が躍動している””私が創造している””私、私、私…”と そんな言葉で言い尽すことのできないエキサイティングな体験も、ただ”内なる死”へと向かう誕生に過ぎなかったということ この1つの真実に気がつくまで、私たちはこのドラマを続けてゆくのでしょう そんな終わりのないゲームを、やさしく見守る母性とともに過ごしながら、今月のサークルはスタートしました

”負けざる魂を授けてくれたことを、神に感謝しよう” 今月この世を去った、著名な政治家のメッセージです 私たちのまわりをよく見わたすと、どういうわけか、誰が聞いても100%正しいことを主張している人たちが、大変な苦難を背負わされることを目撃します 人類の平和と幸せ 誰もが望んでいるであろうことを達成しようと闘っているだけなのに どうして真実は手を貸すどころか、むしろそれを阻止するようなふるまいをするのでしょう?

どうやら真実は、正義が嫌いなようです 善悪を裁くことは創造者の仕事ですから、それは創ったものにまかせなければなりません 私たち人間が、その代わりを生きることはできないようです 多くの平和活動家たちが投獄や軟禁を余儀なくされ、静寂の時を与えられていることは、何ものにも変えがたい真実からの贈り物のように見えます 私たちに与えられていることは、この瞬間をくつろぎ楽しむこと 追いかけてくる過去や決断を迫られる未来がやってくるように思えても、ただこの今を、深い息吹の中で生きることなのでしょう

そして今年も、冬至の季節がやってきました この冬もオープンサークルへご参加いただいた皆さまをお招きして、新年を祝う集いを開きました

世界各地に、この日をお祝いする習わしが残っています 「名前のない日」「時がいまだに生まれない日」など、様々な呼び名がつけられています 闇の女王をなぐさめるため、断食をして過ごす地域もありますが、私たちは再びよみがえる太陽のめぐりのひとときを、食事や唄うことを分かちあう日としています 今回も『3p.m.さんじ』さんの、心も体も温まる精進料理をご用意いただきました

オープンサークルやリトリートを通じて、日常の”食べる”という行為に、大きな変容を経験される方が何人もいらしゃいます 私たちが本来のわたしで生きはじめると、口のなかや体のなかの味わいが深みを増してゆくことに気づくのです その味わいはゆっくりゆっくりと人生をかたち創り、さらに静けさの中でゆったりと食事(人生)を楽しむようになります そして今年はさらに口からの創造に加えて、何も所有することのない空っぽの手から、一体どのような創造が生まれてくるのかを観てゆくことにしました 何も握りしめない開いた手の中に、すでにある恵みを味わいます そして、始まりの中にあるすべての終わりに気づいてゆくことも分ちあいました

ご参加いただいた皆さん全員が、歌声を披露してくださるというサプライズもありました それぞれの皆さんが内なるふるさとへ還る時に口ずさむような、優しく、時に力強い調べを楽しみながら、全員で『故郷』(唱歌)も合唱しました

そしてラストには、オープンサークルにもご参加いただいている稲垣遼さんをゲストにお迎えして、ディジュリドゥのセッションをいただきました クリスタルディジュリドゥの響きは、源から発する原初の響きにも似て、深くやさしく私たちを通りぬけその源へと還ってゆきます 皆さんにもリラックスして味わっていただきながら、心も体も洗いながされてゆくひとときを楽しみました

今年も、多くの方々との出逢いに恵まれる1年となりました 出逢ってくださった皆さま、本当にありがとうございました

今年ご寄付をいただきました総額は、12/30現在で194,000円となりました
(NZドルは1ドル=80円:滞在時のレートで換算させていただいています)
運営費の166,500円を差し引き、残金は70,000円となりました

運営費の内訳は、オープンサークルのお茶菓子代やサイレントリトリートの宿泊費、ニューイヤーパーティーの食事代と出演御礼、ホームページの管理費として使わせていただきました 残金の半額35,000円(送金手数料を含む)を、ラマナアシュラムへ寄付させていただき、残りの35,000円は来年度の運営費として繰り越しをさせていただきます

今年も皆さまの温かなお心づかいをいただきましたことを、ここに深く感謝いたします
本当にありがとうございました
そして来年もまた、どうぞよろしくお願いいたします

この新月では、世界の重苦しさを感じて体のだるさや気持ちの落ち込みが起こり、困惑が体験される集いでした 私たちは長い習慣の中で、自分の体で受けとめた感覚を、本当のわたしのものと勘ちがいし続けます 動揺が起こるのは、”私とは、この心と体だ”という、おなじみの五感や直感を味わっているにすぎません 外であろうと内であろうと、どのような揺さぶりがやってきても、ただそれをそのまま観察すること それらは、ただ消え去るために浮かび上がってきているだけです 今この瞬間のあらわれを、ただきれいに片づけてゆきましょう ”観ること”とは、本来のわたしのやわらかな光が、すべてを灯すことを意味します それは影さえつくることのない、淡いやさしい明かりです すっかり慣れきってしまったこの心と体には、もう惑わされないという準備ができているように感じる集いでした

気持ちよく晴れわたる秋晴れの満月の日には、新月であらわれたことを、より細やかに確かめてゆく分かちあいがありました まわりを見渡すと、皆自分よりも活躍したり成功しているように感じ、焦りが生まれます それもまた、私たちが肉体の目で見た時の、単なる比較のクセにすぎません 内なる真実へと向かうとき、私たちはより細やかな内なる六感で、本当は何が起こっているのかをとらえてゆくようになるでしょう 前へ前へと急ぎ駈けてゆく人たちへ、歓んで、道をゆずりましょう 先をゆずり、そして最後尾にいましょう 誰にも邪魔をされることのない、ゆったりとしたスペースの中で、本来の流れ、命を味わい楽しみます すると、いつの間にかそこは、皆の先頭になっているのです それはまさに、これまで賢者たちが静かに伝えてきてくれた、叡智にあふれる生き方です 真実に生きる人は、決して競争や争いの中で乱暴に手荒く扱われることなく、大切に守られ、すべてから面倒を見られてゆくでしょう

静かな雨の降る新月の午後に、オープンサークルを開きました 本当のわたしと内側で直接出会うこと、そしてそれをそのまま生きることは、1度の人生で2度この世に生まれることに例えられます 本当のわたしの人生を生きるために、私たちは少しずつ、幻のわたしの死を看取る準備をします そこには、想像を超える恐れもやってくるでしょう そしてそれは、最奥に眠る真の勇気が目ざめる瞬間でもあります 私たちの思考や分析ではとうてい理解することのできない、すべてのコントロールから解放される瞬間 この本来の生命力が息を吹き返す準備が、満月へ向けて淡々と進んでいることを感じるひとときでした

ウォーキングメディテーションで皆と歩いたあぜ道の風景 北アルプスの山々をのぞみます

台風が過ぎ去り、真新しい秋の空気が広がる安曇野で、サイレントリトリートを開催しました

このリトリートでは、沈黙の中で思考や感情を観察し、どのような創造が起こってもすぐに呼吸へ還ることを意識して過ごしました わたしたちの心と体は、何もせず静かに過ごすことが何よりも苦手ですから、あっという間に嵐を起こして、おなじみの言葉の渦に私たちを巻き込みます そのことに翻弄されたとしても、幻のわたしの涙ぐましい活動に微笑んで、また最初からやり直してゆきます

坐ること、呼吸すること、そして、内に流れる雄大な道を感じながら、ゆっくりゆっくりと歩むこと… どのような瞬間も、ていねいに内側とともに過ごすことで、これまで気づくことのなかった真実に、当たり前のように出会ってゆきます 数ミリ単位で体の調整が行われ、自然と美しくまっすぐな姿勢に出会われる方もありました それは、私たちが最もくつろぎリラックスした呼吸のできる、何より美しい調和の形でもあります お茶をいただく時間も、本当のわたしと深くつながりながら、安らぎと静けさと感謝の中で過ごします 一服のお茶が、体の中をすっと流れてゆくのを味わいながら、今この瞬間のわたしとつながることが、まわりのすべてとのコミュニケーションの実を結んでいる様を楽しみました

シャロムの意味は「平和」 セルフビルドで建てられた木のぬくもりが感じられるお宿です

分かちあいの時間では、私たちの心と体からあふれ出る言葉や表現を、勇気をもって形にするプロセスが続きました 私たちは洋服を着るように、心の見られたくない想いを隠せていると思っていますが、本当の想いは決して隠すことなどできません どの瞬間にもあふれ出るそのエネルギーは、言葉にならない言葉として訴え続けられます それをそのまま、ありのまま表現する瞬間が、参加者のすべての協力で生まれました それは、何十年にもわたって私たちの奥にしまわれた、魂の叫びのようにも聴こえました

その言葉に感動する人、深く傷つく人、腑に落ちる人… 私たちの心と体は瞬間瞬間、外側の現象に反応し、刻まれ、傷つくように創られています しかし、本当のわたしはかすり傷ひとつ負うことなく、ただただ満ちて穏やかに在り続けます それを直接内側で確かめられた時、私たちの心と体は自然に開かれ、あらゆるものがわたしを通り過ぎ、刻み、傷つけ、体験が起こることを許していくのです

そのことを真正面から受けとめ、この静寂の大仕事に圧倒される方もおられました それはまるで、地球の回転を素手で止めるようなものかもしれません しかし向かうところは、たった1つの真実のみ すべての存在に平等に開かれている、今この瞬間の広がり、恵み… それは決して誰にも知られることなく、たった今にしか開かれることのないもの そして永遠に開かれているものです

このリトリート中、終始、静けさの中にもお隣の森の幼稚園から、子どもたちの元気な声があふれていました また、私たちの歩みを、たくましい大地のように支え続けてくれた美味しいお食事の数々 命に満ちた食べ物は、少量でも充分に私たちに滋養を与え満たしてくれることを実感する毎日でした ありのままの命たちが、私たちを温かく見守り続けてくれました そして同じように沈黙の中で、私たちの歩みを静かに温かく支えてくださったシャロムヒュッテのスタッフの皆さまにも、心からの感謝を贈りたいと思います 本当に、ありがとうございました

命あふれるお食事の数々 石釜のピザもおすすめの一品です

中秋の満月、そして太陽の分岐点である春分秋分が近づく日に、オープンサークルを開きました

日本の皆さんには2ヶ月ほど夏休みをいただいていましたが、その間もそれぞれの日常の中で、新しい気づきが生まれ有意義に過ごされていたとの報告を聞き、うれしく思いました

私たちが心の奥底から欲しいと願うもの それは、もうすでに私たちの手の中にあります この一生では、とうてい使いきれないほどの恵みです 私たちはどこへも探しに行く必要はありません 手に入れようとするあらゆる作戦や努力を手放す時、命を消耗する生き方が、静かに終わりを迎えます

そのためには、わたしたちは本当の意味で”利己的に”生きなければならないでしょう 周りから自分勝手に思われないか、自己満足に陥っていると批判を受けないかなどと思い悩む必要はありません どのようなプレッシャーにも心を奪われず、今ここにある確かな恵み、幸せと出会います それはとてもやさしく、ぞんざいに扱おうものなら、あっという間に消えて無くなってしまうほどの繊細なものです 内なる幸せと、毎瞬出会うこと それはわがままなことでも何でもなく、まわりの問題や混乱に秩序をもたらし、きれいに片づけていくための最大の貢献となるでしょう ”〜ねばならない”という、私たちがかたくなに持ち続ける哲学も、そろそろ終わりにする時です

ニュージーランドで最も古いカウリの巨木 タネ・マフタ 「森の神」という名の神木です

ニュージーランドでの滞在もわずかとなり、滞在中お世話になったすべてに感謝をこめて、ワイポウア・フォレストにあるタネ・マフタへ挨拶に行きました 北島の北部エリアは、今もなお先住の方々が暮らす場であり、数々の聖地が守られています こちらの生活の中では、時折マオリ式の挨拶”ホンギ”をすることがあります ”お互いの呼吸を交換し、共有する”という意味があり、命の息吹が宿るといわれている鼻をお互いに触れ合わせることで、相手と一体になるのです 幸運にも、マオリ以前から在住するワイタハ族の方々との交流も静かに始まりました 彼らからシェアされる歌や叡智も、少しずつ皆さんと分かちあえたらと思っています

センターポールを囲み 調和のリボンを編みながら、みんなで歌います

桜が満開となった春分の日には、ローカルの友人たちと集い春分のセレブレーションを楽しみました 瞑想やチャンティング、歌やダンス、そして美味しいごちそう… 人生の恵みを余すところなく堪能し、分かちあいは夜遅くまで続きました 民族や国籍を超えた創造が、少しずつ動き始めています 瞑想の後、いつもチャンティングがわりに歌っている先住の方々の歌詞を、ここでも分かちあえたらと思います とてもシンプルで美しい旋律、日本の皆さんと、一緒に歌える日が楽しみです

Te Aroha (Love)
Te Whakapono (faith, respect)
Me Te Rangimarie (for all pathways and belief peace)
Tatou Tatou e (to each and everyone of us or we are all one people)

今月はニュージーランド在住の日本の方々と集い、新月の日にオープンサークルを開きました

願望を引き寄せる… という言葉に時おり出会いますが、私たちの心と体は磁石そのもの 常にものごとを引き寄せたり、反発して遠ざけたりしています そのあるがままに気づいている時、それは同時に起こっては消えゆくことを繰り返していることがわかるでしょう

願望を叶えたいという情熱 これは一体、どこからやってきているのでしょう 私たちの心と体は、両親や先祖たちから受け継ぐ、長年のやり残した仕事を片づけていこうとします 誰の欲望からも歴史からも影響を受けることなく、本当に自由に生きたいと願うなら、私たちは高尚な幻のプライド ースピリチュアル・エゴと呼ばれているようなー 高い志さえも手放していかなければならないでしょう

まずは、今この瞬間、自分自身をケアしましょう それはただ、内なる静けさと出会うことです 私たちは、自分以外のもの、例えばパートナーや子ども、ペットなどなど… へ愛情を注ぐことは、じつはとても簡単にやってのけます しかし、唯一の現実である自分自身を愛おしむことを、なかなか始めようとはしません この瞬間の命、呼吸、満ち足りたスペース… 本当の私とともに在り初めて、わたしからあふれ出るものが自然と周りをうるおしてゆくのです 悟りとは、命そのものに気づくこと 私たちがすべてを解放すれば、夢は自然と形になってゆくでしょう

ホームビーチの1つ マタウリ・ベイ イルカやクジラたちがやってきます

現在滞在しているケリケリという町は、マオリ語で「掘る、耕す」という意味を持つ場所です その名のとおり、至るところに果樹園や農園が広がり、肥沃な土地の恩恵を毎日のようにいただいています ここには世界各地から人が集まり、中でも、ハワイやタヒチの海の道を経てたどりついた海人たちも多く、お互いの探求の旅路をたたえながら、午後のティータイムがゆっくりと過ぎてゆきます

アートやカフェの文化が根づき、イルカたちがやってくるベイでシュノーケリングやサーフィンをしたり、瞑想やハープのセッションをともに楽しむ仲間にも恵まれました 豊穣なワイン畑、ネイティブツリーを育て植樹する時間… どういうわけかここには、私の好きなものばかりがそろっています チャルカを回して糸を紡ぐことを覚え、綿花を栽培して布を織る楽しみもできました

味わいきれないほどの恵みを与えられ、感謝が追いつかない毎日です ただ運ばれるままにここにやってきましたが、真実が用意してくれるものの無限の豊かさに、毎瞬驚くばかり すべてをゆだね信頼することの大切さを教えてもらっています

日曜日にはファーマーズ・マーケットへ お目当てのオーガニック製品を買いに出かけます

オーガニック・エコ・リトリート オラオラとは「健康」「幸福」というマオリ語です

  We gathered with local people in Kerikeri of New Zealand and held the first open circle this month.

  This full moon was a so exciting time with the special planetary aspects in decades, it is called “the Harmonic Convergence” or “The grand Sextile”. Meditations and prayers were offered around the world. Soon we might witness the moment that many histories, generated by our thinking, would be broken up silently and in sequence. Some participants experienced some transformations in waves of this change.

  The stories which our thoughts have made, differ in different culture and habits. It is unique. How to draw a line as the boundary between what means me, or not. In our daily life, showing Yes or No is clear. But if the boundary sometimes becomes too deep, it would cause oneself or others suffering. We shared that it was so important to take care of that only the one-line appeared in all our life.

  Our body and mind, which we have inherited from our ancestors, are not our true selves. True selves mean fresh and overflowing from your centre right now, it has nothing to do with past and future. It might be a little difficult to face this fact at first. However, our natural breathing is leading us to our true selves, everyday step by step. We need to be aware of our breathing that is most important.

ミツバチたちが元気に飛びまわる バイオダイナミック・ガーデン

今月はこちらニュージーランドのケリケリで、ローカルの皆さんと集い初めてのオープンサークルを開きました

この満月は、数十年ぶりに訪れる星々の配置とも重なり、世界各地で瞑想や祈りが捧げられるエキサイティングなタイミングでもありました 私たちの思考が生み出してきた数々の歴史が、また静かに、順序通りに、終わりを迎えてゆくのを目撃するかもしれません 参加者の中にも、今回の変容の波について、思い当たる経験をされておられるようでした

私たちが創り出す物語は、それぞれの文化や習慣の中でバラエティに富んでいます その中でも特に、私と私でないものを分かつ境界線の引き方は、どれもとてもユニークです 特にこちらの生活では、イエス・ノーを明確に表さなければいけませんが、時にその境界線があまりにも濃くなると、自分自身や周りの人たちを苦しめることへとつながります 日常のあらゆる場面で、目の前に現れるたった1本の線を観察してゆくことの大切さを分ち合いました 

先祖から受け継ぐこの心と体は、本当の私ではありません 何の歴史とも将来とも関係のない、たった今この瞬間にあふれているみずみずしいもの、それが本当の私です この事実と向き合うことは、最初は少し難しいかもしれません しかし日々の中で、私たちの呼吸が一歩ずつ、真実へとエスコートしてくれるでしょう 呼吸へ還ることの大切さを、確かめ合う集いとなりました

ケリケリリバートラックの最終地点 レインボーフォールズ

5月のブッダのセレモニーの後から、私はドイツ人夫妻が運営するオーガニックリゾートのコテージにお世話になっています ここは、ルドルフ・シュタイナーが提唱するバイオダイナミック農法を実践する農園を持ち、月の満ち欠けや惑星の動きによって種まきや収穫を行っています 特に満月や新月のボイドタイムには、活動をやめて静かに過ごします わたしも毎朝ガーデニングのお手伝いをしながら、こちらで育つ元気なお野菜をもりもりいただいています

生活のすべての営みが循環するよう、様々な工夫やアイデアのいっぱいつまった、自然豊かなリトリート施設です 敷地からは、レインボーフォールズへと続くケリケリ川のトラックがあり、木立の中をいつでも散策することができます 自然保護区にあるこのリゾート施設は歴史建造物にも近く、ニュージーランドの開拓の歴史にも触れることができます

インゲとロルフ夫妻は、エタニティの活動に関心を寄せてくださり、こちらでオープンサークルを開催するためのすべてのサポートを買ってでてくださいました 来年にはこの素晴らしいリゾートをお借りして、サイレントリトリートを開催するというアイデアも生まれています

ブッダの時代、仲間たちは雨期に集まり安居(あんご/リトリート)を行って、共に瞑想生活を送りました 数千年経った今でも、私たちの心と体は同じように、真実に生きる仲間と共に過ごそうとするのでしょう 緑あふれる至福のひとときを、ご一緒できる日を楽しみに…

何千年と続いてきた物語が、ゆっくりと静かに、終わりを迎えようとしているのでしょうか 私たちが真実と向き合うと決めるとき、そこには、たった1人の想いだけが存在しているのではなく、数えきれない人たちの物語が背景にあることを、思い知らされます

本当の自分と出会いたい、ただ、幸せで自由な人生を歩みたい… どれほど多くの想いが、今ここに、やってきているでしょう 無数の声にただただ圧倒され、言葉を失い、立ちすくむかもしれません だけど、大丈夫 私たちの足もとには、しっかりと支えてくれる、たくましい大地が横たわっています

オープンサークルでは、光と闇、あるいは波動を上げる下げる… などといった概念から、すっかり卒業しようとする人のための分かちあいが、続いています

時に私たちは、これまで不潔だと思ったり、品格がないと遠ざけてきたものと、向き合わざるを得ない瞬間がやってくることがあります そのように避けていたものの中にこそ、じつは自由への扉が用意されているのですが、まるで真実は、誰も好き好んでやって来ないようなところに、わざわざ大切に仕舞われているかのようです どのようなものにも善し悪しをつけず、日常の体験の中でそのままを味わうこと このことがどれほど大切な私たちの仕事であるのか、1人1人が実感されておられるようです

夏至やスーパーフルムーンなどの節目を迎え、悟りの体験を自然に受け容れられる方々の報告が、続いています 彼らの言葉からは、もうお金や家族関係、社会的な成功などという話しは一切出てこず、ただ”それ”と出会うという、真摯な想いだけがあふれています 私たちとのやりとりを漏れなくすべて受け取って、彼らはただ内側へ向かい、確かにそこに在るものに直接触れ、その歓びと感謝を、揺るぎのないクリアな言葉で分かちあってくれるのです

それは私たちにとって、何よりの歓びです それぞれの人生や日常の中で、思わぬ時、思わぬ場所で、”それ”はバラエティに起こるでしょう その流れにもう逆らうことなく、自分自身を差しだしゆだねる時、やさしく自然とその中に溶け入るような、永遠の瞬間が訪れるのです

ニュージーランドの北のさいはて ケープレインガ

日本で夏至を迎えるころ、こちらでは冬至の節目を迎えました 先住民マオリの人たちの伝統的な新年、”Matariki”(マタリキ)をお祝いするシーズンです マタリキとは、水平線にプレアデス星団が現れるころ ー日本では「昴」の名で親しまれていますがー この時から新しい1年が始まります この星団には”Eyes of Gods” 神の目という意味もあり、東の空に輝くスバルを見て、その年の運勢を占います 私はこちらの新年をお祝いするため、冬至の日の朝日を見に、レインガ岬へと向かいました

決して花を咲かせることのないポフツカワの老木を通り 魂は故郷へ還ります

ここはマオリの人々にとって、特に大切な意味を持つ場所です 私たちの肉体が死を迎える時、死者の魂はこの岬から、祖先の故郷と語り継がれているハワイキの島へと旅立ってゆきます ここは「魂が飛び立つ地」という伝承のある場所です ハワイキとは、ポリネシアの人たちの間で大切にされている、天地創造の神々が住む楽園です

前夜から続く激しい雨と風 それはちょうど、日本にも同じ頃台風がやってきたことと重なりました 日の出前には、雄大な龍のような雲のうねりが、北へと向けて一気に立ち去り、その後には美しい見事な日の出 そして海から直接立ちのぼる虹を臨むことができました タスマン海と南太平洋の2つの潮流が、ダイナミックにぶつかり溶け合う姿を、少しでも感じていただけるでしょうか 新しい年の始まりを、またちがう地でお祝いできる歓びの中で、静かに過ごしました

大海原の彼方の 友人たちを想いながら