季節はずれの暖かな冬至雨が降る午後 今年も、来る年をお祝いする集いを開きました

いつものように皆で坐り心の安寧を分かちあい、パーティーのスタートです
今年もまた、モダナークファームカフェさんのベジタリアンケータリングにお世話になりました 

生き方とは食べ方 食を供することは真実への感謝の想いと信心をあらわします

安曇野でともに過ごした皆さん全員もお祝いに駆けつけてくださり、リトリート後の変容のシェアリングがつづきました 心の浄化の旅路では、善友の存在は大きな宝となります ゴールへの秘訣は、善き友情に恵まれるかどうかが最大のポイントと言っても過言ではありません エタニティという場がその貴重な機会となるなら、これほど嬉しいことはありません

来年は、これまでの歩みへの信頼が増幅し、さらに発展しゆくサイクルとなることでしょう 新しい変化をしなやかに受け容れる心が、一段と必要とされるだろうと思います

以前のリポートでもお伝えした、女性賢者についての質問をたびたびいただくことがあります

ここで表現した”女性”とは、生殖にかかわる特別な臓器を持つ”肉体の女性”を指しているのではありません それは、自然の摂理そのもの 太古より”深奥の真実”と表現されている、秩序そのものです
それは誰にも気づかれることのない、たいへんデリケートな”純粋な観察”をあらわしています

私たちが宇宙の一塵の風となり、すべての制限から解き放たれる瞬間 ”彼女”という庇護が必要なのです それは、言葉などの痕跡ではとうてい残すことのできない、唯一無類の経験智そのものです

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今年もさまざまな場面で、エタニティと出会い分かちあいをいただき、
本当にありがとうございました

今年いただきましたご寄附の総額は、12/30現在で85,000円となります(端数切捨)
運営費の49,000円を差し引き、残金は67,000円となりました

運営費の内訳は、オープンサークルのお茶菓子代と会場費、機材費、サイレントリトリートの宿泊費、ニューイヤーパーティーの食事代、ホームページの管理費として使わせていただきました

来年は、オープンサークルやサイレントリトリートの予定がありませんので、残金の全額をラマナアシュラマムへの寄附とさせていただきます(送金手数料を含む)

今年も、皆さまの温かなお心づかいをいただきましたことを、ここに深く感謝いたします

活動の再開は未定ですが、また様々なよいタイミングで皆さんとお目にかかれることを楽しみにしています

待望の秋晴れが続いた4日間 今年も、穂高安曇野の森にかえってきました

地球に近接する満月、そして今年の閉園へと近づく穂高養生園のエナジーは、その高まりも全開で、想像をはるかに超える浄らかさに満ち満ちていました あまりに純粋な波動の中で、皆よく眠り、かずかずの夢やヴィジョンを見、また時に激しい痛みに直面するなど、深い深い体験の毎日でした

高い秋空が広がる木々の先から、少しずつ紅葉が始まっていました

浄化の人生を歩きはじめ修養が熟してくると、ある大切な智慧が生まれてきます

それは、心身のすべてが静かに溶けはじめる段階、ヴィパッサナー瞑想では”完全なる溶解”と説かれているもの ラマナが”真我へ溶け去りなさい”と教えていることと、同義のものです

西欧では、ここにたどりつくだけでマスターと称される方もたくさんいらっしゃいますが、このポイントはただのマイルストーンに過ぎず、道はさらに先へと続いています しかしここが最終ゴールだと思いちがいをする人たちは、後をたちません

溶解から静寂へとつづく一連のステージは、大事な一里塚であることに変わりはありませんが、さらにその先へと1歩1歩、気づきつづけ歩みつづけることこそが大切です

森に面した露天風呂 源泉から運ばれる温泉は薪で温められ、とてもやわらか

そこから先は、ブッダが明瞭に導きを授けてくださるでしょう ここから先へと具体的な道すじがしめされるのは、宇宙広しと言えど、彼の教えが唯一となることを、私たちは直接の体験を通して覚ってゆきます

そして、私たちが最終にして出会う最大の幻想 ”命とは永遠である” というイリュージョンと対峙することとなるでしょう

これまで名だたる多くの聖賢たちが、この錯覚によって大切な1歩を誤り、さまざまな神域へと転生流転してゆきました たとえ神々や梵天の世界に生まれかわれたとしても、それはまだこの宇宙のただ中 限定され、条件づけられ、縛られた世界に輪廻するだけなのです

この分かちあいの場を『エタニティ』と名づけたのは、皆でこの壮大な至高への妄想を超えてゆこう…という念いをこめています 歩みをすすめるほどに、私たちは善い心がけをたもちながら、毎瞬注意をおこたらず歩んでゆくのです

うれしいことに参加者の皆さんは、それぞれ私意や私欲を太らせることなく、自然の法則をまっすぐ理解してゆくまでに成長されています この福徳、幸せをすべての生きものと分かちあい、そして多くの力ぞえやサポートに感謝の心を送りながら、この清浄の森をあとにしたのでした

めったにお目にかかれないインド料理の朝食 やさしいスパイスの香りが広がります

エタニティにつどってくださる方々が、気がつけば最近はずいぶんとヴィパッサナー瞑想者の方々であることが多くなってきたように感じています

自然と、宇宙の深淵な叡智に触れる機会となり、ブッダの教えについての分かちあいは、いつもたいへん深くパワフルなものとなります

その智慧を支えているのは、毎瞬の呼吸への気づきのみ

この場所への専心なくしては、その後につづくありのままの智性のあらわれにつながることは難しいでしょう

現実を、そのまま観るというワークは、この広大無辺の宇宙の中でも、人間にもっとも適した勤めであると言われています ですから私たちは、古くからの言い伝えの通り、素直に、この瞬間への気づきという努力だけにフォーカスし続けます そしてあとの結果はすべて、ひとかけらのこだわりも持つことなく、真実にゆだねるのです

たいへんシンプルな理(ことわり)ですが、もし私たちが純粋にそれを体得し、本物の理解が芽生える時、人として生まれたことの真の意味に、出会うことができます この解放こそが、何にも変えることのできない無上の倖せなのです

日本では猛暑の盛りを迎えるころ、南半球では、冬の底がやってきます

今年は、シドニー郊外にあるブルーマウンテンズ国立公園にほど近い瞑想センターで、コースを坐るためお世話になりました

ユーカリの森が発する気体が、青い霧を生み出すことからこの名がつけられたこの地は、アボリジニの聖地の1つでもあります

アボリジニの伝説で有名な3つの奇岩、スリーシスターズ 美しい景観が広がります

かつてこの大地は、先住の民の楽園でした

彼らは、この地上で最古の文化を持つ民族ともいわれています
先祖代々受け継いできた天地創造の神話、ドリームタイムストーリーを大切にし、その叡智の足跡をたどり旅すること ードリーミングー が、彼らの生活や人生そのものでした

先代たちの物語にすべてをゆだね、文字を持つかわりに絵を描いたり踊ったり、歌を歌い継ぎながら後世に伝承した ”歌の道” そこに、先祖や精霊たちが遺した才気やこだまが今も存在するからこそ、彼らは旅を常とするのです

タスマニア島のとある聖所 古代では、巨石や磐座への信仰は万民共通でした

彼らにはまた、時間という観念はなく、過去や未来もすべて「今」に集約されています

天からすべてが与えられると信頼している彼らは、ほとんど何も所有することなく旅をつづけますが、唯一の持ちものの1つにイダキ(ディジュリドゥ)という楽器があります 物質より大事なものが、まさに歌 森羅万象から学んだことのすべてが、音(波動)に紡がれています

彼らが、古代の南インドから渡来した人々であることも、興味深い史実の1つですが、彼らの真正の道が無数に張りめぐらされたこの大地から力ぞえをいただきながら、瞑想にはげむ冬の日々を過ごしました

「real people」(真実の人々)と称されている意味が、心から理解できます 先住民の聖地には、なぜかウラン鉱脈が眠っていることが多いとも言われていますが、これらの地が荒らされる時、世界に悲しみが広がるであろうということを、彼らの神話はすでに警告していました

古代から多くの聖賢たちが黙想し、自然と一体となり万有との仲らいを続けてきた営み

この浄らかなヴァイブレイションが、今も変わらず遺されているおかげで、私たちは深い瞑想の修養を安心して行うことができます そして、それをただ静かに見つめる、限りない”慈しみ”という支えがなければ、私たちは宇宙のほんのわずかの真理にも、触れることはできないのです

暖冬といわれた今年のオーストラリア 一面の雪景色でおおわれる日もありました

テーラワーダの仏教国では、5月の満月にウェーサーカのお祭りが盛大に開かれます

彼らは毎月満月の日に集まり、ともに瞑想をしたり真理について語りあうポーヤ・デーを持ちますが、この望月は、祝福のヴァイブレイションがこの星をやさしく包みます

今月は、ニュージーランドと日本をオンラインでつなぎ、この祝祭の日をともに過ごしました

清浄の人生を歩むと決意した時、私たちはいくつかの宇宙の法則に従うことを宣誓します

このルールは、あらゆる時空にあまねく存在する決まりごとですが、人間がつくる法律とは比べものにならないほどの、まったき正当さ、無私の公平さをそのままあらわしています

その基盤は、どのような存在をも傷つけないこと 言葉によって、行為によって、そして日々の糧による活動によって、その実践が問われます

中でもいつも話題になるのは、3つめのお金にまつわるルールです この法則に背く人たちが多勢を占めるなかで、そこに染まることなく進んでゆくことは、時に難しいレッスンとなるかもしれません 目の前にある銭財が、一体どのような経緯を通じてやってきたものなのか 私たちはとくに注意を払って取扱ってゆく必要があるでしょう

多くの場合、私たちは日々の糧を多く摂りすぎてしまう傾向があります 搾取したものは、必ず返さなければならないのが宇宙のルールですし、最初からそのような過ちを侵さぬよう、細やかに気づきつづけることが大切なのです

自分以外の生けるものを傷つけている時、それは自分自身をも同時に傷つけているのです
自分自身を護っているつもりが、じつはさらに深傷を負っているのです

この深手を赦してゆくプロセスは、たいへんな手間と時間のかかるワークとなりますが、この難儀を通りぬけてはじめて、本ものの慈しみが私たちの内で花開いてゆくのです

ネイティヴブッシュに囲まれたサイレントヴァリー たゆみのない水と風が流れる聖所

わたしは今、ニュージーランドのヴィパッサナーセンターで、奉仕のお仕事をさせていただいています

瞑想者へ仕えることは、この地上での至上の仕事ともいわれます
何の見返りも報酬も求めることのない、無償のつとめ
わたしたちの本質のなかでも、もっとも清らかな行為の1つとされています

奉仕の仕事は毎日忙しく、笑いあり、涙ありの濃密な日々を送っています さまざまに異なるカルチャーがともに交わり溶けあって1つの成果をつくりあげてゆく道程は、どのような苦労があっても代えることのできない宝となります

ここは良質の湧き水にめぐまれた地で、清らかな自然の恩恵をたっぷり受けながら、日々心の浄化に専心できる最良の地です

どのような廻りあわせか、こちらのセンターに携わらせていただいていますが、時折、わたしのサーヴのタイミングにあわせて瞑想コースを坐りたいというお問合せをいただきます
今後はそのようなご要望にも、できるだけお応えしたいと思っています

冬のある日 お休みの日には近くのシェリービーチへ足をのばし、散策を楽しみます

火山や地震など、大地の変化の著しい今日この頃ですが、それに呼応するかのように、その変容を受け容れ軽やかに前進されてゆく方と、土地の呪縛の中へと巻き込まれ、身動きのとれなくなる方とのコントラストが、色濃くなっているように感じる日々です

新月の分かちあいでは、五大元素の1つである大地のエレメントについてのお話しをしました 物質の基本単位である地、水、火、風という性質の中でも、まず始めに出逢うレッスンは大地の要素です 日常のあらゆる活動、仕事や勉学に励むこと、日々の糧を得ること、出産や子育て、介護など家族の面倒をみることなどなど… 何万年とつづく地上の営みの中心、生命のたくましさを内包する学びです

この大地に根ざす輪廻のエナジーはたいへん強力で、このサイクルから自由になることは、真実の道を歩む上で不可欠なプロセスとなるでしょう 瞑想を通じて、心身の内も外も清らかな流れを生きながら、4つの要素を過不足なく体験し、それらが満ちることで、最終のプロセスである”空” ー 心の世界を超えてゆく準備が調ってゆくのです

満月でも同様に、この強力な輪廻の営みからの解放がテーマとなりました 聖なる道と呼ばれるこの旅路について、エタニティではまずはじめの一歩を、勇気をもって踏み出すことをラマナから学びます そして、この道の最後の一歩は、ブッダが明確に導いてくださるのです

最終のゴールまで惑うことなく歩むための、さまざまな体験が用意されるでしょう どの体験にも執着せず、私たちが、もう懐かしい大地へ還ることをやめ、真っすぐ純粋に道を全うすることのみが求められるのです

オープンサークルの終了後は、参加者の皆さん同士でお茶を楽しむ時間を大切にしています 心と体をゆっくりと感じ、真実の分かちあいの後の甘露を味わうひとときとしていただきたいことと、私たちの人生が、食べるものの集まりでできていることを体感していただきたい想いがあります

無苦庵さんでは、心づくしのありがたいおもてなしをいただき、火鉢の温もりやお抹茶のお点前をちょうだいしています このようなやわらかで平和なひとときが、世界中に広がることを、心から願いやむことはありません


今年はじめての分かちあいは、ラマナアシュラマムをともに旅した仲間が、川越でオープンサークルの準備をすすめてくれました

新月の午後、六甲とスカイプでつなぎ、無苦庵さんのスペースをお借りして、いつものように沈黙の中で集いがスタートしました

隠れ家のような古民家の静ひつな空間の中で、初めてエタニティに足を運んでくださる方々に、山登りの物語をお話します 最終地までしっかりと歩を進めるためには、手放してゆくこと、明け渡してゆくことは何よりも大切な実践となりますが、頭ではわかっていても、実際日常の中でその現実がやって来ると、私たちは大きく動揺し焦りを感じずにはおれません

物質世界から見ると崩壊や喪失の顕れですが、精神世界から眺めると、それは清算や解放が起こっています それまで手に入れてきたものが不要となり、待ちわびた大きな変容が訪れているのです

古(いにしえ)の修行者たちが、定住することなく遊行をつづけることで蓄財を遠ざけていたのは、所有することの危機から免れるためです 日常や人生が驚くほどシンプルになり、道すじがはっきりとしめされてゆくのです

満月の日は、この冬一番の寒波が到来し、この日もスカイプでのセッションとなりました

幸せや充足を求めても、外側で繰り返されるおなじみのパターンにうんざりし、疲労困ぱいでエタニティの扉をノックする方々もいらっしゃいます ようやく体験が満ち、少しずつ内へと向かう、よい準備が始まっているのです

何もしないで、ただ静かに心を観察して過ごすことへの憧れと疑惑が、止めどもなくやってきます それでも私たちは、内観と瞑想の大切さを変わることなく伝え、呼吸に気づきつづけることをともに練習してゆきます

1人、また1人と、新たな一歩を踏み出す方々を通して、初心に出逢う大切さを改めて思いました そしてそれは、すでに観察をたしかなものとされている、エタニティの先輩方の歩みが導く智慧でもあるのです

この新鮮な光景が、いつでもスタートでありゴールであることを目撃しながら、今年もまた、ふさわしい方々への口承の仕事が始まったことを実感するひとときとなりました

今年は冬至に間に合うよう、急ぎ足で日本に帰りました そして無事、これまでエタニティの集いにご参加いただいた方々をお招きして、新年のお祝いを開くことができました

新しい太陽の再誕生をお祝いする気運も、年々の高まりを感じますが、参加者の皆さんの瞑想も年ごとに深まり、聖なる沈黙の後に、パーティーのスタートとなりました

今回は、神戸三宮にあるモダナークファームカフェさんのケータリングにお世話になりました ベジタリアンのお料理の数々や、皆さんから寄せられた差し入れも加わり、今回も華やかなテーブルとなりました

今年は、インドでともに過ごした仲間たちからも旅の分かちあいがあり、その後の変容やうれしい報告が続きました 歌の披露もすっかり定番となり、それぞれ心の琴線に触れる楽曲を用意くださっていました 歌声にのせて、それぞれのハートが細やかに開いてゆくその様は、胸が温かくなる瞬間でもあります 私たちの心の暗がりに棲む閉ざされた記憶が、ゆっくりと溶けてゆくのを垣間みているようです

大地が息を吹き返す新しいめぐりが、今年もスタートしました

デザートには天然酵母の2種のシュトーレンも加わり、じっくりとした甘みを味わいました

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今年もさまざまな場面で、エタニティと出逢い分かちあいをいただき、
本当にありがとうございました

今年いただきましたご寄付の総額は、12/30現在で123,000円となります(端数切捨)
(外貨でのドネーションは、いただいた時点のレートで換算させていただきました)
運営費の92,000円を差し引き、残金は62,000円となりました

運営費の内訳は、オープンサークルのお茶菓子代と会場費、サイレントリトリートの宿泊費、ラマナアシュラマムガイドの謝礼、ニューイヤーパーティーの食事代、ホームページの管理費として使わせていただきました
残金の半額31,000円を、ラマナアシュラマムへ寄付させていただき(送金手数料を含む)、残りの31,000円は来年度の運営費として繰り越しをさせていただきます

今年も皆さまの温かなお心づかいをいただきましたことを、ここに深く感謝いたします
本当にありがとうございました
そして来る年も、どうぞよろしくお願いいたします

わたしが今回、30日間のセルフ・リトリートを過ごしたのは、グジャラート州カッチ地方にある瞑想センターでした 砂漠地帯の中にあるオアシスで、ヴィパッサナーの全き垂線にささえられ、かけがえのない瞑想三昧の日々を過ごしていました

この州は、敬虔なジャイナ教の人たちが多く住むことでも知られています 彼らは厳格な菜食主義や不殺生、非暴力を守っており、ここはまた、言わずもがなのマハトマ・ガンディーの故郷でもあります

「インドの自由は、ここから始まったんだよ」 地元の人たちが、誇らしげにわたしに語るのがとても印象的です わたしはすでにデリーで、彼の墓前に挨拶を済ませていましたが、数年前、偶然糸つむぎの手ほどきを受けた際、”何故、彼のチャルカ思想が、わたしの元にもやってきたのだろう…” と、不思議に思ったことを想い出していました

部族や家系に伝わる伝統の図柄を、昔と変わらぬ手法で丹念に織りあげてゆきます

街はずれの村々には、アウトカースト(不可触民)の人々が住み、ガンディーは彼らのことを「ハリジャン」(神の子)と呼び養護しました インドを旅していると、この身分制度についてはどうしても触れざるを得なくなります 信仰と複雑に絡みあった人間のルールは、宇宙の真理からはほど遠くかけ離れていることを改めて思いながら、彼らの伝統の美しい手工芸の数々に、すっかり心をうばわれていました

ガンディーは、ラマナと同時代に生きたインドの偉人ですが、彼はアルナーチャラを訪問することを切望していたと耳にしました ラマナアシュラマムのダイニングホールにも、彼の写真が飾られていますが、その想いはついに実現しませんでした 一説によれば、政治活動に力を注ぐよう、側近たちが必死に食いとめた、というのです もし2人の会見が実現していたら、インドの歴史も、少し変わっていたかもしれないですね

聖なる鳥として敬われる孔雀 真実を伝えるモティーフとして変わらず伝承されています

ここカッチ地方には、インドでも有数のハンディークラフトヴィレッジが点在し、美しいテキスタイルを求めて、世界中からバイヤーや愛好家たちが買いつけにやって来ます 紀元前から続く伝統の技は、女性たちの手によって大切に守られ、受け継がれてきました

古代の賢女たちは、宇宙の真理を1枚の布に織り上げ、子々孫々に継承したと言われています そこにはいつも「Tree of Life」(生命の樹)が刺繍されているのですが、わたしの訪ねた集落では、1対の孔雀が図柄として描かれており、それはわたしの興味を大いにひきつけるものとなりました

村の女性たちは、美味しいチャイやグジャラーティー・ターリーを給仕してくれ、次回の訪問では、糸つむぎや機織りの手ほどきをしてくれることを約束してくれました ここは、良質な綿花がとれることでも有名なのです また1つ、わたしには還る場所ができたようです

老賢女と呼ぶにふさわしいたたずまいの村の女性 深く鋭いまなざしが印象的でした

男性賢者をめぐるインドの旅路も、そろそろ終わりに近づいてきました 彼らからの、一分の狂いもない教えは、わたしの心と体を真っすぐに貫き、目の前に続く1本の道を、さらに明るく照らしてくれるものとなりました この深い味わいを反芻しながら、これから用意されるタイミングの中で、多くの方々との分かちあいが生まれるであろうことを想いながら、帰国の途についたのでした

南インドを後にし、わたしは一気に針路を東にとりました

数年前、友人の尼僧に見せてもらった、1枚の写真があります それは、ゴータマ・シッダッタ、のちのブッダが悟りを得るために6年間修業をした山並みの風景でした

その荒涼とした情景を見た瞬間、わたしの目は釘づけとなり、その後自然と涙があふれたのです この時、きっと将来この地に立つのだろうと予感したのですが、ようやくその山、Mahakala Mountain(前正覚山)を訪ねることができたのです

周知のとおり、その後彼は悟りを得られぬまま、ウルヴェーラーのセーナー村へとおり、そこでスジャータという娘からキール(乳粥)の供養を受けます その後ネーランジャラー河で沐浴をし、菩提樹の樹の下に坐って瞑想に入りました 満月が沈む、明けの明星が輝く暁に、ついに”最終地”へと到達されたのです

山をおりた先には、セーナー村ののどかな田園風景が、今も変わらず広がっています

わたしは早朝にセーナー村を出発し、彼が6年間坐っていたケーブの中で、1人瞑想をはじめました そこには、彼の真っすぐな想い、純粋さしか遺されていませんでしたが、そのあまりの清らかさに、時の経つのも忘れ鎮坐していました 誰の心にも存在するピュアな萌芽 それが波立ち震えはじめる時、その衝動をとめることは、もはや誰にもできないのです

その後、わたしはブッダがたどったままの足跡を歩みながら、ガヤの町へと入りました 今では、世界中の仏教徒が訪れる揺籃の地 各地からの巡礼客でにぎわい、各国のお経が、まるで1つのハーモニーのようにやさしく響きわたっています わたしは大寺院の菩提樹をながめながら、解放へと向かうすばらしい瞑想法を授けてくださったことに、深い感謝を捧げたのでした

マハーボーディーテンプルの脇の菩提樹に向かい、皆が瞑想しお経を唱えます

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毎朝、セーナー村から望む朝日を浴びながら、スジャータ・ストゥーパで瞑想することが楽しみとなっていたのですが、後ろ髪をひかれるように次の訪問地、ヴァラナシへと向かう列車に飛び乗りました ここは、言わずと知れたヒンドゥーの一大聖地 すべてを受け容れ飲みこむ大河が、雄大に横たわっています
列車に相席した人が、わたしに耳打ちします 「ガンガーが、見えてきたよ」

ガンガーの早朝 対岸から昇る朝日が、ガートを真っ赤に染めてゆきます

沐浴をする人の横では、洗濯屋が仕事に余念なく ゴミをあさる牛のその先では、死者を火葬する黒煙が、絶えることなく立ち昇っています この母なる河には、インドのすべてが詰まっているといっても、決して言い過ぎではない日常が、凝縮されています 夜には、花灯籠を浮かべ祈りを捧げる女性たちのすぐそばで、ナイトプージャが毎夜盛大に催されます

ガートに座って人々の営みをのんびりと眺めながら、この大河が営々と為してきたなりわいに、思いを馳せていました そして、ずっと火照っていた心と体も、少しずつガンガーの流れに洗われ、冷まされ鎮まってゆくのでした

ヴァラナシの郊外には、ブッダが初めて説法を説いた地、サールナートがあります ブッダガヤで成道を果たした後、かつてともに修業をしていた5人の友人のもとへ赴き、この北郊の鹿の園で真理を説かれたのです

どういうわけか、日本の若いバックパッカーたちが、瞑想を教えてほしいとわたしの後について来ます 急きょ小さなツアーとなって、私たちはかの地に到着し、沈黙のなかでダメーク・ストゥーパを廻りながら、一緒に坐ることとなりました

ヴァラナシの喧噪とはうってかわって、穏やかな空気の流れる平和な聖地 若者たちは目をキラキラと輝かせ、束の間の分かちあいを楽しんでいるようでした

「初転法輪」の地 その教えの1つは、二極にとらわれない「中道」の大切さでした

インドの新年である、ディワリの新月が近づいていました 漆黒の闇夜が、キャンドルの光で埋めつくされるこのお祭りは、別名”光のフェスティバル”とも呼ばれています

万人の霊性の闇を光で照らすことを象徴する祝祭とも言われ、豊穣と収穫の女神に祈りが捧げられます わたしは夜行列車に揺られながら、次の訪問地である西の果て、グジャラート州はカッチ地方をめざしていました