2015年11月 Diwali & ニュームーン

11月
2015
11

南インドを後にし、わたしは一気に針路を東にとりました

数年前、友人の尼僧に見せてもらった、1枚の写真があります それは、ゴータマ・シッダッタ、のちのブッダが悟りを得るために6年間修業をした山並みの風景でした

その荒涼とした情景を見た瞬間、わたしの目は釘づけとなり、その後自然と涙があふれたのです この時、きっと将来この地に立つのだろうと予感したのですが、ようやくその山、Mahakala Mountain(前正覚山)を訪ねることができたのです

周知のとおり、その後彼は悟りを得られぬまま、ウルヴェーラーのセーナー村へとおり、そこでスジャータという娘からキール(乳粥)の供養を受けます その後ネーランジャラー河で沐浴をし、菩提樹の樹の下に坐って瞑想に入りました 満月が沈む、明けの明星が輝く暁に、ついに”最終地”へと到達されたのです

山をおりた先には、セーナー村ののどかな田園風景が、今も変わらず広がっています

わたしは早朝にセーナー村を出発し、彼が6年間坐っていたケーブの中で、1人瞑想をはじめました そこには、彼の真っすぐな想い、純粋さしか遺されていませんでしたが、そのあまりの清らかさに、時の経つのも忘れ鎮坐していました 誰の心にも存在するピュアな萌芽 それが波立ち震えはじめる時、その衝動をとめることは、もはや誰にもできないのです

その後、わたしはブッダがたどったままの足跡を歩みながら、ガヤの町へと入りました 今では、世界中の仏教徒が訪れる揺籃の地 各地からの巡礼客でにぎわい、各国のお経が、まるで1つのハーモニーのようにやさしく響きわたっています わたしは大寺院の菩提樹をながめながら、解放へと向かうすばらしい瞑想法を授けてくださったことに、深い感謝を捧げたのでした

マハーボーディーテンプルの脇の菩提樹に向かい、皆が瞑想しお経を唱えます

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毎朝、セーナー村から望む朝日を浴びながら、スジャータ・ストゥーパで瞑想することが楽しみとなっていたのですが、後ろ髪をひかれるように次の訪問地、ヴァラナシへと向かう列車に飛び乗りました ここは、言わずと知れたヒンドゥーの一大聖地 すべてを受け容れ飲みこむ大河が、雄大に横たわっています
列車に相席した人が、わたしに耳打ちします 「ガンガーが、見えてきたよ」

ガンガーの早朝 対岸から昇る朝日が、ガートを真っ赤に染めてゆきます

沐浴をする人の横では、洗濯屋が仕事に余念なく ゴミをあさる牛のその先では、死者を火葬する黒煙が、絶えることなく立ち昇っています この母なる河には、インドのすべてが詰まっているといっても、決して言い過ぎではない日常が、凝縮されています 夜には、花灯籠を浮かべ祈りを捧げる女性たちのすぐそばで、ナイトプージャが毎夜盛大に催されます

ガートに座って人々の営みをのんびりと眺めながら、この大河が営々と為してきたなりわいに、思いを馳せていました そして、ずっと火照っていた心と体も、少しずつガンガーの流れに洗われ、冷まされ鎮まってゆくのでした

ヴァラナシの郊外には、ブッダが初めて説法を説いた地、サールナートがあります ブッダガヤで成道を果たした後、かつてともに修業をしていた5人の友人のもとへ赴き、この北郊の鹿の園で真理を説かれたのです

どういうわけか、日本の若いバックパッカーたちが、瞑想を教えてほしいとわたしの後について来ます 急きょ小さなツアーとなって、私たちはかの地に到着し、沈黙のなかでダメーク・ストゥーパを廻りながら、一緒に坐ることとなりました

ヴァラナシの喧噪とはうってかわって、穏やかな空気の流れる平和な聖地 若者たちは目をキラキラと輝かせ、束の間の分かちあいを楽しんでいるようでした

「初転法輪」の地 その教えの1つは、二極にとらわれない「中道」の大切さでした

インドの新年である、ディワリの新月が近づいていました 漆黒の闇夜が、キャンドルの光で埋めつくされるこのお祭りは、別名”光のフェスティバル”とも呼ばれています

万人の霊性の闇を光で照らすことを象徴する祝祭とも言われ、豊穣と収穫の女神に祈りが捧げられます わたしは夜行列車に揺られながら、次の訪問地である西の果て、グジャラート州はカッチ地方をめざしていました