2015年7月 サイレントリトリート

7月
2015
02

緑深まる安曇野に、2年ぶりに帰ってきました
初夏のさわやかな風が舞う中、今年もサイレントリトリートを開催しました

集う方々との分かちあいも年ごとに深まり、私たちが一体何をしているのか、さらに明確となる今回のリトリートとなりました
皆の人生には、自然にさまざまな変容が起こり、坐ることが日常となる方もおられ、それぞれの成長に、目を細める場面がたびたびやってきました

私たちのしている仕事は、果てしない家族の物語を終息させてゆくことです それは1軒1軒の家を訪ね、壊してゆくこと とくに、男たちによって築きあげられてきた象徴を、女たちが静かに消し去ってゆくこと それは時に、家人や最愛の人との死に直面することでもあるのだと、実体験を通じ気づいてゆかれる方々との分かちあいが続きました そしてそれはさらに、民族や人類の壮大な物語の終焉へと大きく波打ってゆきます

ひっそりと木立ちに囲まれた「森の家」 静けさの中、内観と瞑想の日々を過ごします

このような険しい道を、もっと簡単で楽に歩く方法はないのでしょうか? 最近では、アドヴァイタの教師と名のる人たちでさえ、瞑想をする必要はないと教えているようです しかしそれは、賢者たちの人生を見れば、一目瞭然のこと 彼らは、直接体験ののち、そのことにあぐらをかいていたでしょうか? ラマナは、その後数年間、先達や友人を求めることなく、たった1人沈黙の中でそのことを確かめ続けました 坐ることが止むことは、決してありませんでした 彼らが実際に生きてみせてくれたことが、その純粋な答えです

坐ることは、太古の昔から、祖先たちが大切な叡智として、口伝を通じのこしてくれた宝物の1つです これは、私たちが子宮の中にいたころの記憶をたどり、それをそのまま生きることでもあります すべての必要が満たされた安全な時空 ーそれが洞窟であろうと小部屋やホールであろうとー その中で、ただ本質のままに生きる、最も純粋な在り様です ただ、自らを拠りどころとして歩む道へと続く、大切な智慧なのです

天然木のホールでは、日々の瞑想や分かちあいのひとときを過ごしました

今回は、セクシュアリティについての分かちあいも数多く生まれました これは、私たちが真実の道を歩く上で避けては通れないテーマです 近ごろ、女性性を活性するワークも花盛りだそうですが、多くの女性たちは、自分自身の本当の魅力に、いまだ気づけずにいます

自らの本来の美しさと出逢う女性は、決してその魅力を、何かをコントロールする道具に利用することはありません 細心の注意を払い、そのことが不当に使われないよう、気づき続けているはずです こうしてソウルメイトとのドラマも終わりを告げ、真の出逢いと友情に向き合ってゆく準備が調うのです

穂高養生園さんの畑で採れた、旬のお野菜が満載のお膳の数々

私たちが肉体として生まれてくる時には、必ず苦しみを体験します
それは内なる再誕生の時でも、まったく同じこと 苦しみから逃れようとするのではなく、その中へ飛びこんでこそ、真の解放がもたらされるということを、1人1人が確かめる機会がめぐってきているのです

内なるグル(指導者)は、その探求者の器にふさわしい技法(テクニック)を授けると言われていますが、エタニティでは、ヴィパッサナー瞑想へと通ずる「呼吸の瞑想」を、皆と一緒に練習しています この技は、真の苦しみと解放を実現する、すばらしい機会を与えてくれるでしょう そしてもちろんこの技も、最後には手を放し、明け渡してゆくものなのです