2013年5月 オープンサークル
2013
真実について、ブッダは「無」と言い、ラマナは「在」と表現しました
どちらも正解であり、またどちらも、正確にはすべてを言い表わせていないでしょう 言葉や知的な解釈では、とうてい不可能なこと それは私たち1人1人が、自分自身の直接の体験の中で確かめてゆくしかありません
これまで信じてきた”仮そめの私”を、どうしても手放すことができない あるいは、せっかく努力し、勝ち取ってきたものが、すべて幻だったなど認めたくない… 憤りや失望が、絶え間なくやってきます 幻の私はさらに、常に完璧を求めます いつも50点をめざしてやりましょう、と言っているのは、やり過ぎず、なまけ過ぎず、ほど良いスペースを、真実のために空けておいてもらいたいからです
私たちがこの世に誕生して、まず最初にすることは何でしょう? そう、呼吸です そしてその次は? おっぱいを飲みます そう、食事をします そして、私たちが命を閉じる最後まで、忘れずにしていることは、何でしょう? ―そう、呼吸です...
この、とてもシンプルな事実に、私たちはほとんど気づくことはありません しかし、私たちはこれらを忘れず、言葉や知識で教えられることなく、自然に行ってきました これこそが、私たちが生まれながらに持っている、あるがままの姿です 私たちがオープンサークルで気づこうとしているのは、まさにこのことです
この当たり前の真実に気づく時、私たちはこんなにも近くに、豊かな恵みがあふれていたことを識り、驚きます 悟りを、もう特別なものにするのは終わりにしましょう これは、私たちが最も上手にやっている、当たり前のことなのです
こちらニュージーランドでは、静かで穏やかな瞑想生活が続いています ムーンカレンダー(太陰暦)を中心とする毎日で、旧暦の4月8日にはブッダの2,557回目のお誕生日をお祝いする、ウエサク祭りがありました ロータスランタンを手づくりし、皆で瞑想したあと、精進料理をいただきました
日本には、残念ながらブッダ直伝の教えは伝わらず、アジア諸国の思想が融合した”仏教哲学”が伝来しました しかし本来のブッダの教えは、とてもシンプル ”呼吸”という、これ以上簡単にはできないものを通じて、本来のわたしを見出し、今もなお、気づき(サティ)の大切さを私たちに教えてくれています
知人の尼僧が運営する仏教センターでは、このいにしえのブッダの教えであるヴィパッサナー瞑想を伝えています 本来、仏教徒というのは、仏像を拝んだり念仏を唱えるのではなく、”瞑想者”を意味します このセンターは、手つかずの原生林に囲まれた広大な敷地にあり、目の前のブッシュでは、毎夜、ニュージーランドの国鳥で固有種でもあるキーウィの鳴き声がこだまします 新月の頃には、降り注ぐような満点の星々や流れ星を堪能でき、満月の頃には、サザンクロスやオリオンの三ツ星がやっと見えるほど、月光が闇夜を明るく照らします