2015年10月 ラマナ アシュラマム

10月
2015
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かつて天竺と呼ばれた、遥かな地インド どれほどの真理探求者たちが、この地を遠く仰ぎ見、夢みたことでしょう 多くの聖賢たちが、かの地へ向け命がけで出立しましたが、今ではエアチケットを手に入れれば、誰でも簡単に訪ねることができます そんな時代でも尚、この国は、純粋な求道者たちにとって、避けては通れない悠久の大地となっています

ラマナアシュラマムのメインゲート 早朝から、瞑想ホールへ向かう人たちに開かれます

ラマナアシュラマムの正門をくぐるのは4年ぶりですが、今回は、初めてインドを訪れる仲間たちと一緒です いつも現地の方からうかがうことですが、初のインド来訪で、まっすぐアルナーチャラへ来る者は、たいへん幸運である、と…

4年前のわたしにも、そして今回の参加者の皆さんにも、同じ言葉がかけられました それほどこの地は、インドの人たちにとっても、特別な場所なのだということを物語ってくれます

アシュラマムの空気に触れると、それがどんなに鈍感だと称する人にとっても、即座にバガヴァーンのやわらかなもてなしに気がつかれるでしょう 世界各国からの巡礼客に開かれたこの地で、満月期のピルグリムがスタートしました まずは、ゆったりと流れる南インドの時間に着地していただきながら、バガヴァーンが臨終の最期まで過ごされたアシュラマムの各所を見学し、各々好きな場所で瞑想や内観のひとときを持っていただきました

女性たちは、昨年オープンしたばかりの「モーヴィーゲストハウス」にお世話になりました

今回、私たちのグループのガイドをお願いしたシリウス・マハナンダ 鈴木さんは、長年に渡るアシュラマム長期滞在者であり、熱心な信奉者のお1人です 彼のウェブサイトから情報を得、アシュラマムを訪れる日本の方々も数多くいらっしゃいます

アルナーチャラを一望できる素晴らしいスポットをご紹介いただきながら、満月の日には、バガヴァーンの日本語訳本を多く手がけておられる福間巖さんのガイドで、皆でアルナーチャラヒルにのぼりました 現地では、プンジャジからいただいたホーリーネーム「チャンドラ」さんというお名前のほうが、ずっと通りのよいことでも知られておられます

朝日に照らされた、スカンダアシュラマムまでの森閑な道のり そして夕刻には、丘の麓で彼を囲み、サットサンガが実現しました 福間さんの、ストレートで純粋なまなざしは、わたしを含むすべての参加者の心の中核を、深く真っすぐに貫きました

福間さんを囲み、アルナーチャラの丘で満月の日の分かちあいが生まれました

彼自身から語られるプンジャジとの想い出 「今ここの、純粋な気づき」の大切さ アルナーチャラ(真我)が、全ての責任をとり面倒をみてくれるという、ゆるぎない確信 「観ている者は誰か、それを観なさい」 ー 言葉ではとうてい語り尽くすことのできない、至極の叡智の数々は、私たちの血肉にしみわたる教えとなったのでした

そして、シヴァ神の信奉者たちがアルナーチャラを大巡礼する混乱を避けて、翌日にギリプラダクシナを行いました この火の山のエナジーはたいへん強力で、歩きはじめるとすぐにその熱を感じ始めます 終わった後には、発熱でダウンする方もおられましたが、それもまた、この山からのかけがえのない恩寵なのです

アルナーチャラから望む大寺院 ここを中心にティルヴァンナーマライの町が広がります

今回、もうお1人の日本人信奉者であるシューニャさんこと崎山綾子さんとの分かちあいが実現したことも、私たちにはありがたい恩恵でした アルナーチャレーシュワラ大寺院をガイドしてくださり、ラマナが最初に到着した東門を入って、千本柱廊の地下室を参拝 そして、沈黙の聖者グルムールタム像の前で、分かちあいが生まれたのです

雨期だとういのに、私たちの滞在中雨はほとんど降らなかったのですが、この時ようやく待望のブレッシングが降り注ぎました
内なる貴さに出逢うことの大切さ この国には、他の場所には決してない神聖さが存在していることを、彼女は深く熱いまなざしで問いかけてくださいました 

プンジャジのお御足から、アルナーチャラへと導かれた2人の日本の方々との分かちあいを通じ、師から子弟へと受け継がれる、連綿と流れる叡智の大河を想うのでした そして、その清流に身を浸すことができた私たちは、なんと幸せ者だったことでしょう

アルナーチャラの、決して絶えることのないかがり火は、参加者の皆さんのハートに確かな火を灯しました その後のそれぞれの変容も、計り知れないものとなりました 私たちをやさしく手招きくださったバガヴァーンに、最上の感謝と静寂を捧げつづけたのでした


*福間さんはバガヴァーンの教えに関する個人的な質問にはいつでもお答えしますが
 普段サットサンガは行っていません また師という立場もとっていません
 純粋な分かちあいのみです